2018年8月31日金曜日

第98回編集会議(2018年8月31日)

開催日時:2018年8月31日(金)
開催場所:岩本町事務所

(1)宮村師メッセージ(詩編3:6)

身を横たえて眠り、わたしはまた、目覚めます。主が支えていてくださいます。(詩編3:6)

ちいろば聖書集会と宇都宮キリスト集会で年に一度、合同聖会を開催している。今年の主題は「詩編(3編、121編)と私たちの生活・生涯に見る(1)ねむりと死、(2)目覚めとからだのよみがえり」。寝たり、食べたり、飲んだりするという日常生活の行為と、人間として神様の前につくられているという重要なことが結び付いている。眠りとは誰もがするものだが、死のことを「永遠の眠り」と表現するように、死と結び付いている。一方、聖書では、目覚めが復活を意味する場面がある。「眠り=死」だけでなく「目覚め=復活」の関係がある。そう見ると、本文は単に「眠って目を覚ます」ということだけではなく、「死と復活」を意味しているとも読むことができる。

クリスチャントゥデイに適応すれば、「眠る」という誰もがする事柄を伝えながらも、それが指し示す「死」のリアリティーを切り離さない文章を書けるか、という挑戦がある。また逆に「目を覚ます」という日常的な事柄を伝えながらも、「復活」や「希望」を書く営みが与えられていると受け止める。クリスチャントゥデイをなんだらかんだら言う人もいるときに、逆説的ではあるが、芸術作品のような文章を書いていければ。

(2)前回議事録確認
(3)取材スケジュール確認
(4)コラム進捗確認


2018年8月11日土曜日

アクセス障害のお知らせ

2018年8月11日午前11時10分ごろから11時58分ごろまで、クリスチャントゥデイ(https://www.christiantoday.co.jp)にアクセスできない状態が続きました。サイトはすでに復旧しております。読者の皆様には、ご迷惑おかけしましたことをお詫び申し上げます。



2018年8月10日金曜日

第97回編集会議(2018年8月10日)

開催日時:2018年8月10日(金)
開催場所:岩本町事務所

(1)前回議事録確認
(2)アクセス報告
(3)宮村師メッセージ(1コリント1:1, 2)

神の御心によって召されてキリスト・イエスの使徒となったパウロと、兄弟ソステネから、コリントにある神の教会へ、すなわち、至るところでわたしたちの主イエス・キリストの名を呼び求めているすべての人と共に、キリスト・イエスによって聖なる者とされた人々、召されて聖なる者とされた人々へ。イエス・キリストは、この人たちとわたしたちの主であります。(1コリント1:1, 2)

「コリントにある神の教会」とあり、この手紙は特定の地域にある教会に宛てたものだが、その直後に「すなわち」とあり、「至る所でわたしたちの主イエス・キリストの名を呼び求めているすべての人と共に、キリスト・イエスによって聖なる者とされた人々、召されて聖なるものとされた人々へ」と続く。

コリントの教会と、それ以外の地域の「至る所」にある教会が同じ立場で語られている。「伝える」側も「聞く」側の人たちも、キリストの側にあるということ。クリスチャントゥデイでも、私たちから読者へと、上から下へのようにするのではなく、ここで発信する私たちと、それぞれの場で読んでくださる方は、同等、同じ立場にある。これが記事を書くときの根底にある。

ところで、この人たちはすべて、その信仰のゆえに神に認められながらも、約束されたものを手に入れませんでした。 神は、わたしたちのために、更にまさったものを計画してくださったので、わたしたちを除いては、彼らは完全な状態に達しなかったのです。こういうわけで、わたしたちもまた、このようにおびただしい証人の群れに囲まれている以上、すべての重荷や絡みつく罪をかなぐり捨てて、自分に定められている競走を忍耐強く走り抜こうではありませんか。(ヘブライ11:39-12:1)

非常に大切な箇所。ヘブライ書を最初に読んだ人たち、この手紙を最初に受け取った人たちに、なぜ手紙を送ったのか。それは歴史的なセンスが欠けてきたから。そのことをヘブライ書の著者が懸念して、この手紙を書いたといえる。たとえば、昔は教会を開拓した宣教師の影響力が強く、その弊害を言ってきたが、今はそれが逆転されて、過去の宣教師が何をしてきたのかを忘れてしまっている。それと同じような状況が、このヘブライ書を受け取った人々にあった。

あなたがたに神の言葉を語った指導者たちのことを、思い出しなさい。彼らの生涯の終わりをしっかり見て、その信仰を見倣いなさい。 イエス・キリストは、きのうも今日も、また永遠に変わることのない方です。(ヘブライ13:7, 8)

ヘブライ書の著者がなぜこう語ったのか。神の言葉を語り、自分たちに福音を伝えてくれた人々を思い出せ、と言っている。いくら正論を言っていようと、自分たちに福音を伝えてくれた宣教師や親のことを忘れていて、どうして自分はイエスを忘れない、と言うことができるのか。

現代の教会にも、過去を見ないということがある。誰も否定できない過去、歴史を見る。「歴史」というと、大げさに聞こえるが、教会を築き上げてきた無名の人たちを大切にしろ、歴史を見ろということ。

ところで、この人たちはすべて、その信仰のゆえに神に認められながらも、約束されたものを手に入れませんでした。(ヘブライ11:39)

「この人たち」(アブラハムやモーセなど)は、その信仰の故に神から認められていながらも、約束されたものを手に入れなかった。つまり、現代の私たちがどうあるかということで、彼らの完成が決まってくる。

「このようにおびただしい証人の群れに囲まれている」(ヘブライ12:1)では、私たちが歴史を「見る」だけでなく、逆に歴史から「見られている」ことが分かる。「競走を忍耐強く走り抜こう」(同)とは、歴史を形成していくこと。

私たちは過去の人たちに支えられている存在だが、過去の人たちの働きが本当に実り豊かなものになるかどうかは、私たちがどう生きるかによって決まってくる。私たちの記事も過去を見るだけでなく、記事によって現代の私たちが見られているようなものが出てくれば。

(4)取材スケジュール確認
(5)コラム進捗確認



2018年7月28日土曜日

「サーターアンダーギー」と「みそ入りピー糖」

送られてきた「サーターアンダーギー」と「みそ入りピー糖」

昨日(7月27日)は、月2回の編集会議がありました。その編集会議に合わせるように、宮村武夫先生(編集長)のお知り合いの方から、「サーターアンダーギー」と「みそ入りピー糖」という、沖縄のお菓子が届きました。

サーターアンダーギーは、沖縄・首里の方言の名前で、サーター(砂糖)、アンダ(油)、アギ(揚げ)、つまり、砂糖が入った生地を揚げたもの、丸いドーナッツのようなお菓子です。沖縄に25年いた宮村先生によると、きれに丸く膨らませるには、それなりにコツがいるとのこと。

みそ入りピー糖は、伊江島お馴染みのお菓子で、ピーナッツをみそ味の黒糖でコーティング。一度、食べ始めるとなかなか手が止まらない味です。送ってくださった方に感謝!

さて、昨日からちょうど、沖縄発の新規連載「月桃通信」が始まりました。辺野古の新基地建設中止を求めて座り込みを続けている無教会の石原艶子さんによる連載です。宮村先生が沖縄に行かれる前からのお知り合いで、関係者向けに発信されている情報を使わせていただくかたちでスタートできました。写真は、沖縄で30年近く活動しているプロの写真家、山本英夫さんにご協力をいただきました。

連載名にある「月桃」は、熱帯から亜熱帯地域に分布する多年草です。日本では沖縄や九州南部で見られ、厚みのある大きな白い花を咲かせます。石原さんから送られてくる原稿には、この白い花のイラストがあしらわれています。

月桃の花(写真:Cary Bass)

沖縄関係ではこのほか、オリブ山病院(那覇市)の田頭真一理事長による「8泊10日世界一周の旅」が連載中で、また沖縄在住の山崎純二さんによる新規連載「21世紀の神学」も始まったばかりです。

8月には、沖縄とは直接関係がありませんが、また別のテーマの新規連載が始まる予定です。お楽しみに!


2018年7月27日金曜日

第96回編集会議(2018年7月27日)

開催日時:2018年7月27日(金)
開催場所:岩本町事務所

(1)宮村師メッセージ(詩編1:2-3)

水が供給される場所に植えられた木について述べられている。場所が重要。適切な場所に植えられるとき、時が来ると実を結ぶことができる。「時」と「場所」の2つが書かれている。歴史を話すとき、「時」だけではなく「場所」を見ることも重要。その両方があって初めて歴史がある。その場所で10年前、100年前どうだったのか。「歴史地理」という考え。歴史と地理が重なっている。

新約聖書においても、このような「時」と「場所」、「歴史」と「地理」の交差する箇所がある。たとえば、サマリヤの女が井戸のそばでイエスと対話する場面(ヨハネ福音書4章)。その井戸は、自分たちの先祖ヤコブが掘った井戸だった。サマリヤという地域とヤコブの歴史が結び付く。物理的な場所に、ある事柄があることで人々を引き付け、歴史を形成していく。

クリスチャントゥデイがいろいろな「リンク」を張っていく上で、「誰(どこ)とリンクするか」を考えることに加え、歴史をなす事柄を考えていくべきではないか。そのための一つのツールとして、ファクトチェックが有効ではないかと考える。ファクトチェックという事柄、その一つの手法に人を集める力があり、実を結んでいく可能性があるのではないか。

詩編1章2〜3節から突然、ファクトチェックの話になると、違和感を覚えるかもしれないが、すこし説明したい。私は、ファクトチェックという言葉自体を知らなかったが、ある面から見ると初めてだが、ある面から見るとすでに深い関わりがあった。

聖書解釈学を教え続ける中で、学生に紹介し続けてきたのが木下是雄著『理科系の作文技術』。この本では「事実」と「意見」の明確な区別が強調されている。この2つは、理科系の人も混同することがある。

ビリー・グラハムがメッセージを伝えるとき、「The Bible says 〜(聖書は〜と語る)」と言った。「I think 〜(〜と思います)」とは言わない。聖書に書かれたことを事実として伝えたのであって、自分の意見を伝えたのではない。聖書を読む上でも、何が事実で、何が意見(解釈)なのか、まずはそれを自覚し、実践していくことが重要。

ファクトチェックは、報道される情報が事実に基づいたものかを確認することであり、それほど難しい作業ではないという。書評の対象が本であるように、ファクトチェックの対象は記事。直接の取材も必要ない。リンクを張る上で、ファクトチェックという手法を一つのとっかかりにできれば。

(2)前回議事録確認
(3)取材スケジュール確認
(4)コラム進捗確認
(5)終戦関係


2018年7月13日金曜日

第95回編集会議(2018年7月13日)

開催日時:2018年7月13日(金)
開催場所:岩本町事務所

(1)宮村師メッセージ(マタイ5:33-37)

偽って誓ってはならい。ここでは「偽りの誓い」に限定された話のようになっているが、広い意味では「偽り」が課題になっている。「偽り」との関係で「誓い」についての話が展開されている。ある意味、話の脱線ともいえる。もともとは「偽りか、本当か」の話が、「誓っていいか、誓ってはならないか」の話になっている。

入国時、空港で何らかの宣誓を求められることがあるが、聖書に「誓ってはいけない」とあるので、できないと言う人もいる。また聖書に「先生と呼ばれてはならない」とあるので、いかなる人も先生と呼ばない人もいる。ある教会では、教会に火災保険をかけるか、かけないかで議論になった。「保険をかけるのは、教会が火災に遭う可能性があると思っているからで、それは不信仰ではないか」と主張する信徒がいた。その教会の牧師は信徒に、車にはスペアタイヤを積んでいるか尋ね、火災保険もそれと同じことだと説明し、説得することができた。また、無教会の人たちが学校法人を持っているが、「無教会の立場で学校法人を持つのか」と批判的な質問をする人もいる。土地を持つのはおかしいという意見。しかしそういう人たちも「ご自宅をお持ちですか」と質問されると、満足に答えられない。

ボンヘッファーの日誌の中から言葉を抜粋した本がある。その本で教えられたのは、今日の聖句についてこのように書かれていたこと。この箇所は、誓っていいか、誓ってはいけないかが焦点ではなく、論点はこうだ。「神に誓う、誓わないにかかわらず(「誓う」という儀式にとらわれず)、偽ってはいけないということ」。すらりとした文章で書かれていたが、非常に学ばされた。誓いという特別な言葉についてだけではなく、いつでも、どこでも発する日常の言葉が、真実でなければならないということ。日常の真実。私たちが、真実なる事実を報道することは、私たちの生き方に関わっていく。旗幟(きし)鮮明な、しかし柔軟な歩みをできれば。

(2)前回議事録確認
(3)アクセス報告
(4)取材スケジュール確認
(5)コラムについて


2018年6月21日木曜日

第94回編集会議(2018年6月21日)

開催日時:2018年6月21日(木)
開催場所:岩本町事務所

(1)宮村師メッセージ(ヨシュア3:1-3)

新改訳2017では「三日後」。新改訳第3版や新共同訳では「三日たってから」。「三日たってから」の方が時の流れを感じる。数字を大切に見てきた。聖書には時が流れている。創造の7日。一度にではなく7日かけて。荒野の40年。40年間、不平不満を言い、心をかたくなにした結果、せっかくエジプトを出たのに第一世代は砂漠に屍をさらした。何より、モーセ自身が約束の地に入らない。ヨシュアは若く、モーセの従者。本文は、新しい指導者として立てられたヨシュアが、モーセさえできなかった役割をいよいよ果たして、民が約束の地を目指し、出エジプトの際の紅海と対応して旅の終わりにヨルダン川を渡っていく。それがいよいよ実行されていくのが3章、その転換期に当たる。

しかし準備が備わり、すぐに出発すればよいのに「三日たってから」。ヨシュアは3日の間、何を考えたか。時の経過、これは非常に重要。創世記25章で、アブラハムの子イサクが、子どものできない自分の妻のために祈る。イサクはアブラハムに比べれば地味な存在。ところがこの点では、自分の一人の妻リベカのために20年近く祈る。

聖書の中にある時の流れ。イサクの祈った20年の時の流れは、私たちの時の流れと異質ではなく、まったく同じ。それは、聖書の読み方において非常に重要。ヨナも魚の腹の中で3日を過ごした。私たちにとっての3日とまったく同じ実存としての3日間、ヨナは魚の腹の中で祈った。

詩篇31:15「私の時は、御手の中にあります」。時というものは御手の中にある。神の手は非常に細かく、力強い。私たちにとって時とは、無人格的なものでなく、まさに天と地を創られた神様が創られたものとしての時。クリスチャントゥデイの歩みを主が導いておられるとは何か。「三日たって」という時の経過。昨年からの一連の流れ、特に2月から3月の時、そして4月、5月があった。そして6月の前半、後半。新しい執筆者が一人また一人と現れている。年を重ねて確信がますます強くなる。6月前半と後半、2018年の前半と後半、年度で捉えると1月から3月。時というのは、単にスケジュールの意味だけでなく、時を数える知恵がある。寝かしておくことも大切で、時を経過させるときに発酵する。

発明型の祈りか、発見型の祈りか。調味料を振りかけるように最後に祝福を祈る歩みに対して、発見する祈り。それは、金塊を発見する砂金採りに近い。岩があっても砂があっても、その中から主の金塊を見いだしていく。月2回の編集会議も、会議と会議の間の時の流れの中で、まさに主の御手の中で発酵していく。その働きを私たちが感じるということは非常に重要なこと。リンクを張っていくとは、立場が違っても、主の御手の中で時を覚えるのと同じく、深い信頼をもって共労していくこと。

(2)前回議事録確認
(3)取材スケジュール確認
(4)寄稿者・コラムニスト候補確認


宮崎賢太郎先生の著書にクリスチャントゥデイが!


先日、青木保憲先生が書評を書いてくださった宮崎賢太郎先生の新作『潜伏キリシタンは何を信じていたのか』に、クリスチャントゥデイの記事が「参考文献」として掲載されていました。

こうして記事が用いられるのは、うれしいことです。宮崎先生が参考にされたのは、下記の2つの記事です。


1つは、東京基督教大学の世界宣教講座で行われたトマス・ヘイスティングス博士の講演についての記事。

“西洋的・知的”なキリスト教から“日本”のキリスト教へ 日本におけるキリスト教宣教の分析と3つの提案(1)

もう1つは、CJC通信提供の下記の記事でした。

キリスト教は今やアフリカの宗教に

よろしければ、宮崎先生の著書と一緒にクリスチャントゥデイの記事もぜひお読みください!


2018年6月8日金曜日

第93回編集会議(2018年6月8日)

開催日時:2018年6月8日(金)
開催場所:岩本町事務所

(1)宮村師メッセージ(1コリント9:23)

万代恒雄牧師の言葉、「宮村君、イエス様のためなら、悪いこと以外何でもしような」。悪いことでも教会のためならばしてもいいという落とし穴がある。はっきり注意したいのは「悪いこと以外」。悪いことと良いことがある。絶対してはいけない、絶対しなくちゃいけないという基準がある。それをどのように実践していくか。24節。聖書をメガネに見たときに、すべてのものが明らかになってくる。この徹底した「何でもしよう」という献身の思いの必要性と、一方でそのブレーキとしての善悪の基準。何でもしていいのではない、「悪いこと以外」。キリストのために何でもするという志と献身、そして修練。競技者のように修練をする思いで勉強し続ける。本当の意味で学ぶ、訓練する、自己管理する。私たちは、そういう人を抱え込むのでなく、リンクを張っていく。人事で縛らない。しかし、志のためには堅くつながる。6月から8月、とても大切な時期を迎えている。目に見えるかたちで質が変わってくることを、7月、8月の歩みの中で経験していきたい。パウロは私たちとまったく同じ課題にぶつかっていた。

(2)前回議事録確認
(3)アクセス報告
(4)取材スケジュール確認
(5)寄稿者・コラムニスト候補


2018年5月25日金曜日

第92回編集会議(2018年5月25日)

開催日時:2018年5月25日(金)
開催場所:岩本町事務所

(1)宮村師メッセージ(詩篇121:4)

「見よ」と出てきたら注意するようにと教えてきた。「イスラエルを見守る方」とは、明らかに人格を表す。カタカタ信仰か、コトコト信仰か。コトコト信仰ではだめで、カタカタ信仰。「お方」なんだ。単なる知識の量的な多い少ないでなく、出会いの問題。そのお方が私たちに呼び掛けられ、私たちが応答していく。あなたを見守る方は、まどろむこともなく、眠ることもない。否定形が聖書に用いられるのは、非常に重要なことを言っているとき。あるという事実、もしくはその可能性がある。すでに眠ってしまっている古代オリエント世界の神々は眠る神であって、それとは全然違う。神ご自身は、まどろむことがなく、眠ることがない。逆に人間は、どんなことがあっても寝なくてはいけない。寝る人間と、まどろむことなく眠ることのない神。神と人間との違いを聖書は語っている。イエス様が人間になると眠られる。船の上でも。

アブラハムは、もとは偶像礼拝者。偶像礼拝者の中から呼び出され、祝福されたアブラハムは、他者の祝福のために用いられる。「イスラエルを見守る方」、これをなぜ私たちが読むか。また、どう読むか。「クリスチャントゥデイを見守る方は」と読まなければ、聖書を書いた目的にならない。現実のイスラエルを言っているのか。最初にアブラハムを召し出したときを考えると、神はアブラハムを世界の祝福のために用いる。クリスチャントゥデイがどれだけアクセスを伸ばすのか自体が問題ではない。主を知らない人にどれだけ主を知らしめるか、その目的に立つとき、私たちを見守る方がおられる。クリスチャントゥデイを見守る方は、まどろむことなく、眠ることがない。私たちを黙らせようとするなら、石が叫び出す。そういうお方に守られているから、どんなことをしても無駄にはならない。人の祝福のために。それこそイスラエル。クリスチャントゥデイについてもまさしくそのまま適用できる。

日本の新聞ジャーナリストたちが受け継いできた倫理、それをどのように考えるか。私の見るところ、それと真っ向から対立するキリスト教メディアの現状がある。そういった事実判断をしながら、なおこの告白、「イスラエルを見守る方は」。ジャーナリストの内村の継承をどういう面でするか。「聖書をメガネに」は単純に見えるが、守備範囲は広い。

(2)前回議事録確認
(3)取材スケジュール確認
(4)寄稿者・コラムニスト候補


2018年5月11日金曜日

第91回編集会議(2018年5月11日)

開催日時:2018年5月11日(金)
開催場所:岩本町事務所

(1)宮村師メッセージ(出エジプト20:16)

恵みをどのように悪用すると聖書は言っているか。事実判断はできるだけ正確にしていく。例としては、今回K新聞が出した記事。見ている人にはその内容があたかも事実のように映っていく。これは偽証。「クリスチャントゥデイ元編集長」はうそではない。しかし、何が書いてあるかだけでなく、なぜ、いかに書いてあるかを見る。「元編集長」となぜ書いているか。自分を何者かのごとくに見せている。しかし、彼が編集長をしたのは1年間。特に、彼が12月から1月の倒れる直前までに見せた、聖書以外のものを恐れる態度。編集長として絶対に取ってはいけない態度だった。彼が2月以降も残るなら、私が辞めようと思っていた。

こだわるのは、彼が2月に出した従業員声明。「内部告発」という言葉は使うが、実質は違う。なるべく名前を出さずに被害を最小限に抑えようとするのが内部告発だが、名前をずらずらと並べている。ある人は、内部告発の一般的な印象があるから、検証もしないでそのまま受け止めてしまう。

(2)前回議事録確認
(3)アクセス報告
(4)取材スケジュール確認
(5)寄稿者候補


2018年4月27日金曜日

第90回編集会議(2018年4月27日)

開催日時:2018年4月27日(水)
開催場所:岩本町事務所

(1)宮村師メッセージ(出エジプト20:16)

4月から編集会議について3回連続で書いている。2回目まで出して、3回目は新聞の倫理規定について書く。新聞社同士が協力するという内容がある。そのことを問い掛ける。もう1つは、偽証。事実と違う。それは驚くべきことではない。十戒でもわざわざ取り上げており、新約に入れば、イエス様は偽証で訴えられて十字架につけられた。最初の殉教者ステファノも偽証で訴えられた。偽証は、本当のこととうそが混ぜられている。聖書をメガネにしてこの問題を見ていかなければならない。恵みが先行するが、それを悪用する。どうやって悪用するか、それを聖書は何と言っているか。聖書はそれがなくなるとは言っていない。しかし、うそをついてはいけない。一人一人の態度を編集会議の中で確立していくべきではないか。今回のことは非常に残念な経験だったが、そこから学ぶべき点がある。戦略的にははっきりしているが、戦術的な備えも大切ではないか。まったく無視をするのでない。事実、それを信じ込んでいる人がいる。彼らをどうやって解毒するか。

(2)前回議事録確認
(3)取材スケジュール確認
(4)今後の予定


2018年4月11日水曜日

第89回編集会議(2018年4月11日)

開催日時:2018年4月11日(水)
開催場所:岩本町事務所

(1)宮村師メッセージ(黙示録1:8, 22:12-13)

本文から2つのことを取り上げたい。1つはアルファでありオメガ。ポイントは、中間のことについて、主なる神様の絶対的な主権を明言していること。パトモスから天に昇っていく。パトモスで見るべきことを、同時に天にあって見ていく。何を見ていくかというと、地上で行われるさまざまなこと。新天新地の希望、そこから見ていく。そこに本当の忍耐が生じる。天だけでなく、天と地。聖書の中で天とは何かは大きな課題。それをしっかり考えないと、聖書のいう現実性がなくなってしまう。確信を持っているのは、天を創られたお方がクリスチャントゥデイを導いておられる事実。核心は、天の創造と切り離さないこと。そうでなければ、その時の状況で左右されてしまう。

今回の「福音主義神学会」の第二の論文を執筆した山口希生(のりお)氏。「宇宙的な力としての罪」との題で、パウロが宇宙の完成を考えていることを取り上げているのはとてもうれしい。新天新地に至る宇宙的な救いの計画、それと体が贖われていくこと、その両方がとても大切。トマス・トランス著『空間・時間・復活』。主の復活と私たちの生活を、ギアを変えないで考えていく。目に見えないものと目に見えるものとの微妙な関わりを大切にしていく。大きな視野がないと、どこかおかしくなっていく。創造の神学を非常に重要に、それと同時に、新しい天、新しい地、宇宙を考えていく。宇宙を考える手掛かりは、人間の体をトータルに考えていくこと。

聖書をメガネに、クリスチャントゥデイの現場でリアルな具体的な信仰の実践をなしていく。インターネットという目に見えない中で、しかし目に見えるものを確信していく。紙の媒体は絶対必要。紙の媒体を大きく広げる、今までにない効率的な方法を実践するためにインターネットを活用する。その合体。ニュースの出し方においてもフェイスブックとホームページの使い分けなど、考えるためのいろんな材料が聖書の中にある。聖書をリアルに考えると、日常生活が本当に聖書の世界となっていく。黙示録の著者も読者もそれを自然に考えている。そのリアリティーをクリスチャントゥデイでなんとか実現させたい。それには、記事がある具体性をもって人の心に届き、それがニュースになっていくこと。

著作集の7冊目が出そう。約50年前に書いたテサロニケ1、2を中心に、ペテロ、ガラテヤ。全体の題を「福音の力と事実」とした。福音というのは本来そういうもの。力の、事実の、そういう記事を書く。空想でない、おしゃべりでない。3人で意気軒昂(けんこう)。結実の実を結ぶ80代。いろんな人がこの編集会議に陪席して、私たちがいろんなことを吸収していく。読者が見えないかたちでいるけれど、見えるかたちで編集会議に来られるように。次々に思いを超えた人たちが起こされることを望んでいきたい。

(2)前回議事録確認
(3)取材スケジュール確認
(4)アクセス数報告
(5)サポーター・寄付者報告
(6)ペンテコステメッセージ候補