2018年6月21日木曜日

第94回編集会議(2018年6月21日)

開催日時:2018年6月21日(木)
開催場所:岩本町事務所

(1)宮村師メッセージ(ヨシュア3:1-3)

新改訳2017では「三日後」。新改訳第3版や新共同訳では「三日たってから」。「三日たってから」の方が時の流れを感じる。数字を大切に見てきた。聖書には時が流れている。創造の7日。一度にではなく7日かけて。荒野の40年。40年間、不平不満を言い、心をかたくなにした結果、せっかくエジプトを出たのに第一世代は砂漠に屍をさらした。何より、モーセ自身が約束の地に入らない。ヨシュアは若く、モーセの従者。本文は、新しい指導者として立てられたヨシュアが、モーセさえできなかった役割をいよいよ果たして、民が約束の地を目指し、出エジプトの際の紅海と対応して旅の終わりにヨルダン川を渡っていく。それがいよいよ実行されていくのが3章、その転換期に当たる。

しかし準備が備わり、すぐに出発すればよいのに「三日たってから」。ヨシュアは3日の間、何を考えたか。時の経過、これは非常に重要。創世記25章で、アブラハムの子イサクが、子どものできない自分の妻のために祈る。イサクはアブラハムに比べれば地味な存在。ところがこの点では、自分の一人の妻リベカのために20年近く祈る。

聖書の中にある時の流れ。イサクの祈った20年の時の流れは、私たちの時の流れと異質ではなく、まったく同じ。それは、聖書の読み方において非常に重要。ヨナも魚の腹の中で3日を過ごした。私たちにとっての3日とまったく同じ実存としての3日間、ヨナは魚の腹の中で祈った。

詩篇31:15「私の時は、御手の中にあります」。時というものは御手の中にある。神の手は非常に細かく、力強い。私たちにとって時とは、無人格的なものでなく、まさに天と地を創られた神様が創られたものとしての時。クリスチャントゥデイの歩みを主が導いておられるとは何か。「三日たって」という時の経過。昨年からの一連の流れ、特に2月から3月の時、そして4月、5月があった。そして6月の前半、後半。新しい執筆者が一人また一人と現れている。年を重ねて確信がますます強くなる。6月前半と後半、2018年の前半と後半、年度で捉えると1月から3月。時というのは、単にスケジュールの意味だけでなく、時を数える知恵がある。寝かしておくことも大切で、時を経過させるときに発酵する。

発明型の祈りか、発見型の祈りか。調味料を振りかけるように最後に祝福を祈る歩みに対して、発見する祈り。それは、金塊を発見する砂金採りに近い。岩があっても砂があっても、その中から主の金塊を見いだしていく。月2回の編集会議も、会議と会議の間の時の流れの中で、まさに主の御手の中で発酵していく。その働きを私たちが感じるということは非常に重要なこと。リンクを張っていくとは、立場が違っても、主の御手の中で時を覚えるのと同じく、深い信頼をもって共労していくこと。

(2)前回議事録確認
(3)取材スケジュール確認
(4)寄稿者・コラムニスト候補確認


宮崎賢太郎先生の著書にクリスチャントゥデイが!


先日、青木保憲先生が書評を書いてくださった宮崎賢太郎先生の新作『潜伏キリシタンは何を信じていたのか』に、クリスチャントゥデイの記事が「参考文献」として掲載されていました。

こうして記事が用いられるのは、うれしいことです。宮崎先生が参考にされたのは、下記の2つの記事です。


1つは、東京基督教大学の世界宣教講座で行われたトマス・ヘイスティングス博士の講演についての記事。

“西洋的・知的”なキリスト教から“日本”のキリスト教へ 日本におけるキリスト教宣教の分析と3つの提案(1)

もう1つは、CJC通信提供の下記の記事でした。

キリスト教は今やアフリカの宗教に

よろしければ、宮崎先生の著書と一緒にクリスチャントゥデイの記事もぜひお読みください!


2018年6月8日金曜日

第93回編集会議(2018年6月8日)

開催日時:2018年6月8日(金)
開催場所:岩本町事務所

(1)宮村師メッセージ(1コリント9:23)

万代恒雄牧師の言葉、「宮村君、イエス様のためなら、悪いこと以外何でもしような」。悪いことでも教会のためならばしてもいいという落とし穴がある。はっきり注意したいのは「悪いこと以外」。悪いことと良いことがある。絶対してはいけない、絶対しなくちゃいけないという基準がある。それをどのように実践していくか。24節。聖書をメガネに見たときに、すべてのものが明らかになってくる。この徹底した「何でもしよう」という献身の思いの必要性と、一方でそのブレーキとしての善悪の基準。何でもしていいのではない、「悪いこと以外」。キリストのために何でもするという志と献身、そして修練。競技者のように修練をする思いで勉強し続ける。本当の意味で学ぶ、訓練する、自己管理する。私たちは、そういう人を抱え込むのでなく、リンクを張っていく。人事で縛らない。しかし、志のためには堅くつながる。6月から8月、とても大切な時期を迎えている。目に見えるかたちで質が変わってくることを、7月、8月の歩みの中で経験していきたい。パウロは私たちとまったく同じ課題にぶつかっていた。

(2)前回議事録確認
(3)アクセス報告
(4)取材スケジュール確認
(5)寄稿者・コラムニスト候補


2018年5月25日金曜日

第92回編集会議(2018年5月25日)

開催日時:2018年5月25日(金)
開催場所:岩本町事務所

(1)宮村師メッセージ(詩篇121:4)

「見よ」と出てきたら注意するようにと教えてきた。「イスラエルを見守る方」とは、明らかに人格を表す。カタカタ信仰か、コトコト信仰か。コトコト信仰ではだめで、カタカタ信仰。「お方」なんだ。単なる知識の量的な多い少ないでなく、出会いの問題。そのお方が私たちに呼び掛けられ、私たちが応答していく。あなたを見守る方は、まどろむこともなく、眠ることもない。否定形が聖書に用いられるのは、非常に重要なことを言っているとき。あるという事実、もしくはその可能性がある。すでに眠ってしまっている古代オリエント世界の神々は眠る神であって、それとは全然違う。神ご自身は、まどろむことがなく、眠ることがない。逆に人間は、どんなことがあっても寝なくてはいけない。寝る人間と、まどろむことなく眠ることのない神。神と人間との違いを聖書は語っている。イエス様が人間になると眠られる。船の上でも。

アブラハムは、もとは偶像礼拝者。偶像礼拝者の中から呼び出され、祝福されたアブラハムは、他者の祝福のために用いられる。「イスラエルを見守る方」、これをなぜ私たちが読むか。また、どう読むか。「クリスチャントゥデイを見守る方は」と読まなければ、聖書を書いた目的にならない。現実のイスラエルを言っているのか。最初にアブラハムを召し出したときを考えると、神はアブラハムを世界の祝福のために用いる。クリスチャントゥデイがどれだけアクセスを伸ばすのか自体が問題ではない。主を知らない人にどれだけ主を知らしめるか、その目的に立つとき、私たちを見守る方がおられる。クリスチャントゥデイを見守る方は、まどろむことなく、眠ることがない。私たちを黙らせようとするなら、石が叫び出す。そういうお方に守られているから、どんなことをしても無駄にはならない。人の祝福のために。それこそイスラエル。クリスチャントゥデイについてもまさしくそのまま適用できる。

日本の新聞ジャーナリストたちが受け継いできた倫理、それをどのように考えるか。私の見るところ、それと真っ向から対立するキリスト教メディアの現状がある。そういった事実判断をしながら、なおこの告白、「イスラエルを見守る方は」。ジャーナリストの内村の継承をどういう面でするか。「聖書をメガネに」は単純に見えるが、守備範囲は広い。

(2)前回議事録確認
(3)取材スケジュール確認
(4)寄稿者・コラムニスト候補


2018年5月11日金曜日

第91回編集会議(2018年5月11日)

開催日時:2018年5月11日(金)
開催場所:岩本町事務所

(1)宮村師メッセージ(出エジプト20:16)

恵みをどのように悪用すると聖書は言っているか。事実判断はできるだけ正確にしていく。例としては、今回K新聞が出した記事。見ている人にはその内容があたかも事実のように映っていく。これは偽証。「クリスチャントゥデイ元編集長」はうそではない。しかし、何が書いてあるかだけでなく、なぜ、いかに書いてあるかを見る。「元編集長」となぜ書いているか。自分を何者かのごとくに見せている。しかし、彼が編集長をしたのは1年間。特に、彼が12月から1月の倒れる直前までに見せた、聖書以外のものを恐れる態度。編集長として絶対に取ってはいけない態度だった。彼が2月以降も残るなら、私が辞めようと思っていた。

こだわるのは、彼が2月に出した従業員声明。「内部告発」という言葉は使うが、実質は違う。なるべく名前を出さずに被害を最小限に抑えようとするのが内部告発だが、名前をずらずらと並べている。ある人は、内部告発の一般的な印象があるから、検証もしないでそのまま受け止めてしまう。

(2)前回議事録確認
(3)アクセス報告
(4)取材スケジュール確認
(5)寄稿者候補