2018年8月31日金曜日

第98回編集会議(2018年8月31日)

開催日時:2018年8月31日(金)
開催場所:岩本町事務所

(1)宮村師メッセージ(詩編3:6)

身を横たえて眠り、わたしはまた、目覚めます。主が支えていてくださいます。(詩編3:6)

ちいろば聖書集会と宇都宮キリスト集会で年に一度、合同聖会を開催している。今年の主題は「詩編(3編、121編)と私たちの生活・生涯に見る(1)ねむりと死、(2)目覚めとからだのよみがえり」。寝たり、食べたり、飲んだりするという日常生活の行為と、人間として神様の前につくられているという重要なことが結び付いている。眠りとは誰もがするものだが、死のことを「永遠の眠り」と表現するように、死と結び付いている。一方、聖書では、目覚めが復活を意味する場面がある。「眠り=死」だけでなく「目覚め=復活」の関係がある。そう見ると、本文は単に「眠って目を覚ます」ということだけではなく、「死と復活」を意味しているとも読むことができる。

クリスチャントゥデイに適応すれば、「眠る」という誰もがする事柄を伝えながらも、それが指し示す「死」のリアリティーを切り離さない文章を書けるか、という挑戦がある。また逆に「目を覚ます」という日常的な事柄を伝えながらも、「復活」や「希望」を書く営みが与えられていると受け止める。クリスチャントゥデイをなんだらかんだら言う人もいるときに、逆説的ではあるが、芸術作品のような文章を書いていければ。

(2)前回議事録確認
(3)取材スケジュール確認
(4)コラム進捗確認


2018年8月11日土曜日

アクセス障害のお知らせ

2018年8月11日午前11時10分ごろから11時58分ごろまで、クリスチャントゥデイ(https://www.christiantoday.co.jp)にアクセスできない状態が続きました。サイトはすでに復旧しております。読者の皆様には、ご迷惑おかけしましたことをお詫び申し上げます。



2018年8月10日金曜日

第97回編集会議(2018年8月10日)

開催日時:2018年8月10日(金)
開催場所:岩本町事務所

(1)前回議事録確認
(2)アクセス報告
(3)宮村師メッセージ(1コリント1:1, 2)

神の御心によって召されてキリスト・イエスの使徒となったパウロと、兄弟ソステネから、コリントにある神の教会へ、すなわち、至るところでわたしたちの主イエス・キリストの名を呼び求めているすべての人と共に、キリスト・イエスによって聖なる者とされた人々、召されて聖なる者とされた人々へ。イエス・キリストは、この人たちとわたしたちの主であります。(1コリント1:1, 2)

「コリントにある神の教会」とあり、この手紙は特定の地域にある教会に宛てたものだが、その直後に「すなわち」とあり、「至る所でわたしたちの主イエス・キリストの名を呼び求めているすべての人と共に、キリスト・イエスによって聖なる者とされた人々、召されて聖なるものとされた人々へ」と続く。

コリントの教会と、それ以外の地域の「至る所」にある教会が同じ立場で語られている。「伝える」側も「聞く」側の人たちも、キリストの側にあるということ。クリスチャントゥデイでも、私たちから読者へと、上から下へのようにするのではなく、ここで発信する私たちと、それぞれの場で読んでくださる方は、同等、同じ立場にある。これが記事を書くときの根底にある。

ところで、この人たちはすべて、その信仰のゆえに神に認められながらも、約束されたものを手に入れませんでした。 神は、わたしたちのために、更にまさったものを計画してくださったので、わたしたちを除いては、彼らは完全な状態に達しなかったのです。こういうわけで、わたしたちもまた、このようにおびただしい証人の群れに囲まれている以上、すべての重荷や絡みつく罪をかなぐり捨てて、自分に定められている競走を忍耐強く走り抜こうではありませんか。(ヘブライ11:39-12:1)

非常に大切な箇所。ヘブライ書を最初に読んだ人たち、この手紙を最初に受け取った人たちに、なぜ手紙を送ったのか。それは歴史的なセンスが欠けてきたから。そのことをヘブライ書の著者が懸念して、この手紙を書いたといえる。たとえば、昔は教会を開拓した宣教師の影響力が強く、その弊害を言ってきたが、今はそれが逆転されて、過去の宣教師が何をしてきたのかを忘れてしまっている。それと同じような状況が、このヘブライ書を受け取った人々にあった。

あなたがたに神の言葉を語った指導者たちのことを、思い出しなさい。彼らの生涯の終わりをしっかり見て、その信仰を見倣いなさい。 イエス・キリストは、きのうも今日も、また永遠に変わることのない方です。(ヘブライ13:7, 8)

ヘブライ書の著者がなぜこう語ったのか。神の言葉を語り、自分たちに福音を伝えてくれた人々を思い出せ、と言っている。いくら正論を言っていようと、自分たちに福音を伝えてくれた宣教師や親のことを忘れていて、どうして自分はイエスを忘れない、と言うことができるのか。

現代の教会にも、過去を見ないということがある。誰も否定できない過去、歴史を見る。「歴史」というと、大げさに聞こえるが、教会を築き上げてきた無名の人たちを大切にしろ、歴史を見ろということ。

ところで、この人たちはすべて、その信仰のゆえに神に認められながらも、約束されたものを手に入れませんでした。(ヘブライ11:39)

「この人たち」(アブラハムやモーセなど)は、その信仰の故に神から認められていながらも、約束されたものを手に入れなかった。つまり、現代の私たちがどうあるかということで、彼らの完成が決まってくる。

「このようにおびただしい証人の群れに囲まれている」(ヘブライ12:1)では、私たちが歴史を「見る」だけでなく、逆に歴史から「見られている」ことが分かる。「競走を忍耐強く走り抜こう」(同)とは、歴史を形成していくこと。

私たちは過去の人たちに支えられている存在だが、過去の人たちの働きが本当に実り豊かなものになるかどうかは、私たちがどう生きるかによって決まってくる。私たちの記事も過去を見るだけでなく、記事によって現代の私たちが見られているようなものが出てくれば。

(4)取材スケジュール確認
(5)コラム進捗確認



2018年7月28日土曜日

「サーターアンダーギー」と「みそ入りピー糖」

送られてきた「サーターアンダーギー」と「みそ入りピー糖」

昨日(7月27日)は、月2回の編集会議がありました。その編集会議に合わせるように、宮村武夫先生(編集長)のお知り合いの方から、「サーターアンダーギー」と「みそ入りピー糖」という、沖縄のお菓子が届きました。

サーターアンダーギーは、沖縄・首里の方言の名前で、サーター(砂糖)、アンダ(油)、アギ(揚げ)、つまり、砂糖が入った生地を揚げたもの、丸いドーナッツのようなお菓子です。沖縄に25年いた宮村先生によると、きれに丸く膨らませるには、それなりにコツがいるとのこと。

みそ入りピー糖は、伊江島お馴染みのお菓子で、ピーナッツをみそ味の黒糖でコーティング。一度、食べ始めるとなかなか手が止まらない味です。送ってくださった方に感謝!

さて、昨日からちょうど、沖縄発の新規連載「月桃通信」が始まりました。辺野古の新基地建設中止を求めて座り込みを続けている無教会の石原艶子さんによる連載です。宮村先生が沖縄に行かれる前からのお知り合いで、関係者向けに発信されている情報を使わせていただくかたちでスタートできました。写真は、沖縄で30年近く活動しているプロの写真家、山本英夫さんにご協力をいただきました。

連載名にある「月桃」は、熱帯から亜熱帯地域に分布する多年草です。日本では沖縄や九州南部で見られ、厚みのある大きな白い花を咲かせます。石原さんから送られてくる原稿には、この白い花のイラストがあしらわれています。

月桃の花(写真:Cary Bass)

沖縄関係ではこのほか、オリブ山病院(那覇市)の田頭真一理事長による「8泊10日世界一周の旅」が連載中で、また沖縄在住の山崎純二さんによる新規連載「21世紀の神学」も始まったばかりです。

8月には、沖縄とは直接関係がありませんが、また別のテーマの新規連載が始まる予定です。お楽しみに!


2018年7月27日金曜日

第96回編集会議(2018年7月27日)

開催日時:2018年7月27日(金)
開催場所:岩本町事務所

(1)宮村師メッセージ(詩編1:2-3)

水が供給される場所に植えられた木について述べられている。場所が重要。適切な場所に植えられるとき、時が来ると実を結ぶことができる。「時」と「場所」の2つが書かれている。歴史を話すとき、「時」だけではなく「場所」を見ることも重要。その両方があって初めて歴史がある。その場所で10年前、100年前どうだったのか。「歴史地理」という考え。歴史と地理が重なっている。

新約聖書においても、このような「時」と「場所」、「歴史」と「地理」の交差する箇所がある。たとえば、サマリヤの女が井戸のそばでイエスと対話する場面(ヨハネ福音書4章)。その井戸は、自分たちの先祖ヤコブが掘った井戸だった。サマリヤという地域とヤコブの歴史が結び付く。物理的な場所に、ある事柄があることで人々を引き付け、歴史を形成していく。

クリスチャントゥデイがいろいろな「リンク」を張っていく上で、「誰(どこ)とリンクするか」を考えることに加え、歴史をなす事柄を考えていくべきではないか。そのための一つのツールとして、ファクトチェックが有効ではないかと考える。ファクトチェックという事柄、その一つの手法に人を集める力があり、実を結んでいく可能性があるのではないか。

詩編1章2〜3節から突然、ファクトチェックの話になると、違和感を覚えるかもしれないが、すこし説明したい。私は、ファクトチェックという言葉自体を知らなかったが、ある面から見ると初めてだが、ある面から見るとすでに深い関わりがあった。

聖書解釈学を教え続ける中で、学生に紹介し続けてきたのが木下是雄著『理科系の作文技術』。この本では「事実」と「意見」の明確な区別が強調されている。この2つは、理科系の人も混同することがある。

ビリー・グラハムがメッセージを伝えるとき、「The Bible says 〜(聖書は〜と語る)」と言った。「I think 〜(〜と思います)」とは言わない。聖書に書かれたことを事実として伝えたのであって、自分の意見を伝えたのではない。聖書を読む上でも、何が事実で、何が意見(解釈)なのか、まずはそれを自覚し、実践していくことが重要。

ファクトチェックは、報道される情報が事実に基づいたものかを確認することであり、それほど難しい作業ではないという。書評の対象が本であるように、ファクトチェックの対象は記事。直接の取材も必要ない。リンクを張る上で、ファクトチェックという手法を一つのとっかかりにできれば。

(2)前回議事録確認
(3)取材スケジュール確認
(4)コラム進捗確認
(5)終戦関係