2019年1月11日金曜日

第105回編集会議(2019年1月11日)

開催日時:2019年1月11日(金)
開催場所:岩本町事務所

(1)宮村師メッセージ

なぜなら、あなたがたには、キリストを信じることだけでなく、キリストのために苦しむことも、恵みとして与えられているからです。(フィリピ1:29、聖書協会共同訳)

「キリストを信じること」だけでなく、「キリストのために苦しむ」ことも恵みであるとある。私はこれを「喜び」と「苦悩」の関係で考え、よく「二重の恵み」と言ってきた。聖霊ご自身の賜物としての喜び、聖霊の実として与えられる喜びは、一切の条件に左右されないものであり、潜在意識の中に与えられる。だが、喜びで完結するのではなく、「キリストのために苦しむ」ところまで行く。

具体的には、キリストご自身の関心事である世の苦しみに寄り添うこと。キリストにある喜びは無条件に与えられるが、その信仰や恵みをそこで留めてしまう、あるいはそれを自己目的としてしまうのではなく、「キリストのために苦しむ」ところまで行く。これまでも「喜びと苦悩は両立する」と言ってきたが、そのように。

クリスチャントゥデイの具体的な目的は、現実社会にある喜ぶ者の喜び、泣く者の涙を伝えることで、読者が「喜ぶ者と喜び、泣く者と泣く」(ローマ12:15)ようになること。そして、そのような「管」としての役割だけではなく、クリスチャントゥデイ自身も「喜ぶ者と喜び、泣く者と泣く」こと。

(2)前回議事録確認
(3)取材スケジュール確認
(4)アクセス報告
(5)「聖書をメガネに」での書評掲載の予定確認


2019年1月1日火曜日

2019年 新年のごあいさつ

新年明けましておめでとうございます。旧年中も皆様方の温かいお励ましとご支援、ご加祷を賜り、厚く御礼申し上げます。

皆様方にご支援いただき、弊社は本年、創業17年を迎えます。スタッフ一同、福音宣教の前進のため、一層の祈りと努力とを怠らず、皆様方のご期待とご信頼にお応えしていきたいと願っております。

本年も、より一層のご理解とご支援を賜りますよう、心よりお願い申し上げます。

2019年1月1日
株式会社クリスチャントゥデイ
スタッフ一同



2018年12月28日金曜日

第104回編集会議(2018年12月28日)

開催日時:2018年12月28日(金)
開催場所:岩本町事務所

(1)宮村師メッセージ

彼らは、自分たちのためではなく、あなたがたのために奉仕しているのだという啓示を受けました。そして彼らが調べたことが今や、天から遣わされた聖霊により福音を語った人々を通して、あながたに告げ知らされたのです。御使いたちもそれをはっきり見たいと願っています。(1ペテロ1:12、新改訳2017)

「あなたがた」とあるが、あなたがたとは誰か。もちろん当時、手紙を受け取った2千年前の最初の読み手だが、今、聖書を読んでいる私たちも。

イザヤやエレミヤなど、過去の人たち(彼ら)が、あなたがたのため(私たちのため)に奉仕している。どのように? 今は、過去の人たちが自分たちのために奉仕してくださった、備えてくださったという時に流れにある。

「今」というのは、漢字一字で書けるが、「今」にさらに別の言葉を付けると、多様な考察ができる。40代で沖縄に行ったとき、「沖縄に生まれていないのに、沖縄のことをできるのか」と考えた。「私、宮村武夫はできないことがある。沖縄に生まれたわけではない」と。しかし、「私『に』はできない」「私『に』もできる」「私『に』しかできない」と、「私」に「に」を付けて考えると、「沖縄に生まれていない私『に』しかできないこと」を考えるようになった。

同じく「今」についても、「は」を付けて考えた。「今『は』できない」「今『は』できる」と。さらに「今『は』○○できないが、今『でも』△△できる」、また「今『しか』□□できない」と考えられる。

時は神様の恵みだが、これを受け取るときに一面的にではなく、多面的に捉える。「今」といっても主の時ではない時がある。「今」といっても、それが「備えの時」や、賞味期限が切れたような「時を逃してしまった」と言える時がある。

クリスチャントゥデイでこの1年間守られてきて、今最後の時を考えると、「今『は』できない」とできないことを認める謙虚さの必要を覚える。できないことをできると錯覚したり、虚栄心からできているふりをしたりしてはいけない。また「今『は』できない」とがっかりしない。

それよりも「今『しか』できない」ことを、明確に捉えていくセンスが大切。できないことを謙虚に認め、また「今はできない」ということを言い訳にしないことは大切だが、「今『しか』できないこと」を捉えていく。

「御使いたちもそれをはっきり見たいと願っています」。クリスチャントゥデイにおいて行われている神様の恵みは、天使たちも見たいと願っていること。御使いたちが見たいと願うようなことを、今、私たちの中に与えてくださっている。

2019年はどういう時になるのか。私は、2019年1月21日には80歳になる。時の豊かさを、私たちの関わるすべての人、また読者に持ってほしい。

(2)前回議事録確認
(3)取材スケジュール確認
(4)新年の企画について



2018年12月12日水曜日

第103回編集会議(2018年12月12日)

開催日時:2018年12月12日(水)
開催場所:岩本町事務所

(1)宮村師メッセージ

わたしは、忠実な兄弟と認めているシルワノによって、あなたがたにこのように短く手紙を書き、勧告をし、これこそ神のまことの恵みであることを証ししました。この恵みにしっかり踏みとどまりなさい。(1ペテロ5:12、新共同訳)

ペテロがこの手紙を書いた意図(目的)を示している箇所。聖書の中でも、普通の文章でも、著者が書いた意図について触れるのは、出てきそうで出てこないこと。著者がはっきりと意図を書いている場合は、その著者の意図に従って読んでいくことが、まずすべき読み方。

「勧めをする」とあるが、普通の言葉でいえば、説教をすること。この手紙は書き手からいえば説教。この手紙が説教であれば、その内容から初代教会のレベルの高さを感じる。

ペテロは、説教(メッセージ)そのものが神の真の恵みであると表現した。クリスチャントゥデイは何をしていくのか。「神の真の恵み」を証ししていく。

「主よ。地はあなたの恵みに満ちています」(詩編119:64)は、聖書全体が何であるかを表している大切な言葉だと思っている。主なる神様は良いお方であって、天、地、すべてはその恵みで満ちていると。

「恵みに満ちている」と確信しながら、どんな悲惨な中でも、どんな小さなことでも、神の恵みを証ししていくということが、私の理解する限り、クリスチャントゥデイが目指そうとしていることである。

本文ではさらに「この恵みにしっかり留まりなさい」とある。恵みを伝えるだけではなく、恵みに留まりなさい。つまり、それができていない、神の恵みを無駄にしている現実があると言っている。

神の恵みの故にどんな現実も、悲惨も堪えていくことができる。またそれが無駄にされていることに対する改革の思いも持っていく。ただ報道するのではなく、その報道する記事によって、人々が変えられていく。それを今後の大きな方針として考えている。

(2)前回議事録確認
(3)アクセス報告
(4)論説主幹としての役割について(宮村)
(5)取材スケジュール確認
(6)クリスマス関係の寄稿
(7)新年の企画



2018年11月21日水曜日

第102回編集会議(2018年11月21日)

開催日時:2018年11月21日(水)
開催場所:岩本町事務所

(1)宮村師メッセージ

神は昔、預言者たちによって、多くの部分に分け、多くの方法で先祖たちに語られましたが、この終わりの時には、御子にあって私たちに語られました。神は御子を万物の相続者と定め、御子によって世界を造られました。(新改訳2017、ヘブル1:1-2)

1節の「神は昔、預言者たちによって、多くの部分に分け、多くの方法で先祖たちに語られました」は、どのようにして聖書が書かれたかを書いている。一度ですべてが書かれたというわけではない。神学校に入ってすぐ、機械霊感説は間違いだと言われた。聖書はいきなり天から降ってきたものではないと。しかし私は最初、そのように信じていた。これは弱みではるが強みだとも思っている。

そうした中で転機となったのが、この1節の御言葉。日本新約教団に関わったときも、また教会の現場でも、神学校教育においても、「一度にすべてではない」「一つ一つやっていくことに意味がある」としてきた。これは神様の業の特徴。

これまで、2代目、3代目というように何かの働きを継承する経験はほとんどなく、新しく始めるという機会が多かった。そうした中で「一歩踏み出す」ときの大きな支えとなったのが、この「一度にすべてではない」だった。

シュラッターというドイツの神学者がいる。ボンヘッファーの前の世代の人で、ボンヘッファーたちがヒットラーの問題について闘っていく1930年代にはすでに老年に達していた。著書『われらイエスを知るや』(佐伯晴朗訳、新教出版社)は、シュラッターが最後に書いたもの。日毎にイエスについて書いた非常に洞察の深い書だが、その中に「一度にすべてではない」と結び付くような「初めは小さく、構想は雄大に」という言葉がある。初めは小さく、一歩だが、全体の構想は持っているということ。

編集会議を100回続けてきたことは本当に感謝。だが、100回終わった後に何をするかが、私にとっては課題。どんなに長くても10年先までという命であれば、200回ではなく、101回、102回が大切。主は何を私に集中的にさせようとされているのか。

田頭真一先生から頂いた原稿のように、まとまったものを出したいと考えている。1冊の本になる可能性があるものを、今のキリスト教の出版社では出せないようなものを、クリスチャントゥデイで出せたというように。そしてクリスチャントゥデイで掲載したものが、印刷された紙の本となっていくことを願っている。

(2)前回議事録確認
(3)アクセス報告
(4)取材スケジュール確認
(5)クリスマス関係の寄稿・記事
(6)新年の企画