開催日時:2020年7月10日(金)
開催場所:岩本町事務所
(1)聖書メッセージ(井手北斗編集長、本文:エステル記3:9)
王の一番重んじていたハマンが王に進言している。ハマンが神を信じる民について説明しているが、非常に間違った説明をしている。確かに法令を守っていない部分はある。王の命令を守らないモルデカイを見て、ハマンがこう言う。ユダヤ人全員を見てではなく、モルデガイ一人。しかも、この一つの命令について。しかし、王に伝えるときは、まるでユダヤ人全員が王に反逆する者たちかのように、王に間違った説明をしている。ハマンは、あたかも王のためを思ってやっているかのように語っている。王のためにならないからユダヤ人を滅ぼしましょうと。
しかし、実際はどうだったか。5節にハマンの本当の動機が明らかにされている。実は、モルデガイが自分にひざをかがめないからという、個人的な怨念、つまり私怨だった。6節、モルデガイ一人に手を下すことだけで満足せず、民全体にまで。これが、王に隠していたハマンの思惑だった。自分の思惑を隠して、あたかもそうでないかのように、王の利益かのように装って王に近づき、最後は、彼らを滅ぼすように書いてくださいと。意思決定者である王に、間違った情報を、王にとってユダヤ人が悪い民だとの情報を刷り込み、最終的には、彼らを滅ぼすように書いてくださいと話す。
権威のある文章が出てきたとき、その文章がどんな経緯で、誰のどんな動機によって出されたものなのかを注目する必要がある。その権威は正当に行使されたものなのか、それとも正しいとは言えない動機、思惑の下に書かれたものなのか。権威が正当に行使されているのか、あるいは悪用されているのか。聖書は、王によって書かれたこの書簡が、どのようにして書かれたのかを告発している。CTに対しても、権威を持たせようとしたかのような文章があるが、誰がどんな動機で、どのようなプロセスでそれを書かせたのか。書いてくださいと言った人物がいるのではないか。そうであれば、書いてくださいと言ったのが誰だったのか、これが重要になってくるのではないか。神様はそれを知っておられる。
聖書を神の言葉と信じる私たちは、神様が何らかの意図を持って、このエステル記を現代の私たちにまで語り継がせたと信じる。この神の言葉を見るときに、真実はそれほど簡単に一筋縄ではいかないことを学ぶ。しかし大事なのは、神様がこれらすべてを統治しておられるという事実であり、神を信じ、神により頼む者には報いてくださる方であることを、もう一度思い起こしていきたい。
(2)先月までの振り返り:アクセス報告
(3)終戦75周年企画
(4)今後の予定