2020年8月7日金曜日

第115回編集会議(2020年8月7日)

開催日時:2020年8月7日(金)
開催場所:岩本町事務所

(1)聖書メッセージ(井手北斗編集長、本文:ネヘミヤ記6:6)

本文の一節にいろいろな状況、人物が含まれている。まず、言いふらされているうわさがある。ネヘミヤとユダヤ人たちは、ネヘミヤが仕えている国の王様に対して反逆をたくらみ、しかも、そのもくろみを達成するための手段が、城壁の立て直しだという。これは明らかに事実と違う内容。しかも、手紙の中でサヌバラテは、このうわさを自分がいいふらしたとは言わず、あたかも客観的な事実であるかのように言っている。主語が誰か分からない言い方をしている。これがサヌバラテの手紙の特徴だといえる。しかも、このうわさを前提事実として、真実かどうかを検証するステップを踏まないで、あたかも無条件に受け入れていい情報であるかのようにして、さらに次のように話す。あなたは彼らの王になろうとしていると。ネヘミヤが意図していたこととまったく違うことを、あたかもネヘミヤの意図であるかのように語っている。

本文の前の箇所を見ると、なぜネヘミヤが城壁の建て直しをしようとしたのか、明確に書かれている。1章を見ると、同胞のユダヤ人が、エルサレムの城壁が崩れていることをネヘミヤに伝え、ネヘミヤは非常な悲しみを感じ、その悲しんでいる顔を王が見る。悲しむネヘミヤの顔に注意を向けさせるように、神様が王に介入された。そして、ネヘミヤがその理由を伝えると、神様がまた王に介入されて、では何を願うのかと王がネヘミヤに助け舟を出してくれる。ネヘミヤは、神の働きがあったからこそ、それが実現したことを証ししている。神様がこの事業を可能にしたのだとはっきりと記録している。

トビヤは役人で、王に仕えるネヘミヤの同僚だった。つまり、同業者に当たる。権威を持つ意思決定者である王が、同業者の利益を助けたと見て、彼を素直に祝福するのでなく、非常に不機嫌になったと記録されている。つまり、嫉妬である。ネヘミヤ反逆説のうわさを最初に言い出したのは、他でもない彼らだった。2章19節にはっきりと記録されている。

「反逆しようとしているのか」。これは断定ではない。人の心の中のことであるから、彼らに分かることではない。しかし彼らは、ネヘミヤが王に反逆しているかのように、王に見せかけたい。王のためを思って告発する自分たちと、そのために非難されるネヘミヤという構図の劇場を作ろうとしている。王に意思決定をくつがえしてしてほしいと願い、茶番を行っている。その茶番は成功したのか。事業はトビヤたちの願いとは裏腹に次々と進んでいった。

ネヘミヤたちが城壁を修復していることを聞くと、彼らは非常に憤慨してユダヤ人たちをあざけった。トビヤも、「一匹の狐が上っても、その石垣をくずしてしまうだろう」と言った。ここで、彼らの戦略に変化が見える。茶番劇をしても、彼らを止めることはできない。そうしたら、何をもって事業を妨げようとしたのか。結局この事業は成功しないのだ、最後までいってもすぐに壊れるのだと、何の根拠もない悲観的な未来予想を語る。ネヘミヤと一緒に働く人たちに働き掛けて、彼らが事業を助けることをやめさせようとする。ネヘミヤはできると言っているが、できたとしてもすぐに崩れる、無駄な努力だ、やめてしまいなさいと言って、人と人との信頼関係を壊そうとしている。CTにもそのような働き掛けがあった。どうせCTはだめになるのだから、その前にやめてしまいなさいと。従業員にも、コラムニストにも、広告主にもそのようなことを言う人がいて、今もそう言っている。

では、ネヘミヤたちはどうしたか。彼らはその後も事業を続け、困難を見事克服していった。いよいよ城壁が建て直され、破れ口が残されていないことが分かると、彼らは「会見しよう」と言い出し、ネヘミヤに害を加えようとたくらんだ。4度も人をよこし、5度目にも同じようにして、若い者をよこした。その手には一通の開封した手紙を持っていた。その後で、今日の本文になる。

結局、この6章6節に至るまでに彼らがしたことは、すべて失敗した。事業をやめさせるために、王の意思決定をくつがえそうとしたができなかったし、ネヘミヤの協力者たちのやる気をなくさせ協力させないようにしようとしたが、彼らは協力をやめなかった。では、その2つがだめなら、彼らは誰に働き掛けるか。事業を立ち上げた本人であるネヘミヤに働き掛ける。「預言者たちを任命して、『ユダに王がいる』と言わせている」というのは明らかに虚偽であり、やってもいないことをやったと、断定的に言っている。そして、「今にこのようなことが王に聞こえるであろう」と、不利な情報を意思決定者に自分が持っていくことを、はっきり明言している。これは脅迫である。しかも、自分たちが情報の発信源であることを、王には分からないようにやるかもしれない。それはまさにマッチポンプであり、自作自演である。

彼らの要請に対し、ネヘミヤは何と答えたか。聖書を通して、神が今日の私たちに教訓を与えようとされていると信じる。やっていないことをやった、言っていないことを言った、この冤罪を突きつけられる妨害に対して、聖書はどのような教訓を私たちに残しているか。8節、「あなたが言っているようなことはされていない。あなたはそのことを自分でかってに考え出したのだ」。サヌバラテとトビヤが手紙を送ったことは、密室での出来事だったかもしれない。しかしこの手紙とこの手紙の裏にある事情を、全世界の人々が読むようになった。イエス様がおっしゃった。「あなたがたが暗やみで言ったことが、明るみで聞かれ、家の中でささやいたことが、屋上で言い広められます」(ルカ12:3)

神様は、やっていないことをやったと言っている人が、うそをついていることをご存じである。彼がそのうそを意思決定者に信じ込ませたこともご存じである。私たちも、このネヘミヤのように、「あなたが言っているようなことはされていない」と淡白に答えて、神様によって可能になったこの事業を、神様の御手によって成功させる者たちになることを願う。

(2)前回議事録の確認
(3)先月までの振り返り:アクセス報告
(4)終戦75周年企画
(5)今後の予定