2020年6月9日火曜日

第113回編集会議(2020年6月9日)

開催日時:2020年6月9日(火)
開催場所:Workplace

(1)聖書メッセージ(井手北斗編集長、本文:申命記30:1~8)

祝福とのろいについて出ている。祝福を受けたときには感謝するが、のろいのように見える困難なとき、それをどのように解釈して受け止めればよいか。2節に「心を尽くし、精神を尽くして御声に聞き従うなら」とある。祝福に見えることものろいに見えることも、それが起こるのは、私たちが心を神様に向けるためだと見るときに、新しい視点を得ることができるのではないか。

6節には、神様が民とその子孫に対して「心を包む皮を切り捨てて、あなたが心を尽くし、精神を尽くし、あなたの神、主を愛し、それであなたが生きるようにされる」とある。神様をそのように愛するのは難しいと思ってしまうが、神様が、私たちの心に介入してくださるとき、本当に心を尽くして精神を尽くして神様を愛することができる。

8節は、1節から7節までの帰結として出てくる。「あなたに命じる主のすべての命令を、行うようになる」。これも人間の力では無理だが、神様が介入してくださった結果、できるようになる。これも恵み。

さらに進むと、11節に「あなたに命じるこの命令は、あなたにとってむずかしすぎるものではなく、遠くかけ離れたものでもない」と、神様ご自身がおっしゃる。私たちにとっては難しいと思うかもしれないが、神様の助けによって難しいものではなくなる。これを行うことができるようになるのも、神様の助けによる。

この箇所は、ローマ書10章8節でパウロが引用している。そしてこの箇所について「これは私たちの宣(の)べ伝えている信仰のことば」だと語っている。この「ことば」とは、イエス・キリストのことであり、イエス様が十字架で死なれ、復活されたこと。さらに10節では「人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われる」とある。これが、パウロの宣べ伝える信仰のことば。

神様が人に介入してくださる。この中で最も大きな介入は、イエス・キリストご自身が人間と同じように仕える者の姿をとってこの地上に来られたことではないか。律法によって義となることはできない。イエス様がこの地に来てくださったこと、この恵みを通して私たちは神様を愛することができる。人間が互いに愛し合う関係になることができる。

クリスチャントゥデイで一番大事なのは、このイエス・キリストの福音、信仰のことばを宣べ伝える器になること、そしてそのことばを伝える人たちの助けになることではないか。これがクリスチャントゥデイのドライビングフォース、原動力となって、働く上での大きな力となっていくことを願っている。

(2)先月までの振り返り:アクセス報告
(3)終戦75周年企画
(4)今後の予定