2019年3月22日金曜日

第108回編集会議(2019年3月22日)

開催日時:2019年3月22日(金)
開催場所:岩本町事務所

(1)宮村師メッセージ

イエスは近づいてきて、彼らにこう言われた。「わたしは天においても地においても、すべての権威が与えられています。ですから、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。父、子、聖霊の名において彼らにバプテスマを授け、わたしがあなたがたに命じておいた、すべてのことを守るように教えなさい。見よ。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます。(マタイ28:18~20、新改訳2017)

有名な大宣教命令だが、聖書の中心は何か。日本クリスチャン・カレッジ4年生のとき、渡邊公平先生からの集中的な1年間の指導を受けた。その時、最後にレポートを書いた。テーマは「聖書の中心は三位一体なる神かキリストか」。結論を言えば、「キリストが中心である」というのはよく言われているが「三位一体なる神」が中心だといえる。

イエスは「わたしは天においても地においても、すべての権威が与えられています」と話している。これは最高の権威だといえる。「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます」も、最高の権威を持つ者が言えること。しかし、その間に「父、子、聖霊の名において彼らにバプテスマを授け」とある。三位一体が出てくる。

「三位一体なる神」と言うが、そのリアリティーを忘れてしまってはいけない。これは1と3が同時になること。統一性と多様性が同時に。三位一体なる神が造られたものとして自然を見ると、そこには統一性と多様性が見えてくる。

しかし、どちらかに偏ってしまうことが多い。キリスト教は一神教というが、そうではない。ユダヤ教は一神教だが、キリスト教は三位一体の神を信じる。一神教は非常に正しい面があるが、しかし「父、子、聖霊」という多様性を持たない問題性がある。一方で3だけになると、多神教で「何でもよし」となりと、唯一の1を忘れている。

聖書の主題は三位一体なる神。三位一体なる神が天地を創造した。そこから理解するのが神学。それを沖縄で実践してきた。聖書を沖縄で読む、そして沖縄を聖書で読むと。そしてそれは、クリスチャントゥデイの働きにおいても。これは観念的なものではなく、クリスチャントゥデイの記事の中でも表されていくもの。

(2)前回議事録確認
(3)取材スケジュール確認
(4)イースターの寄稿について
(5)設立17周年企画について