2019年3月8日金曜日

第107回編集会議(2019年3月8日)

開催日時:2019年3月8日(金)
開催場所:岩本町事務所

(1)宮村師メッセージ

私は身を横たえて眠り、また目を覚まします。主が私を支えてくださるから。私は幾万の民をも恐れない。彼らが私を取り囲もうとも。(詩篇3:5-6、新改訳2017)

詩篇3篇には、編集者が付けたものだが、「ダビデの賛歌。ダビデがその子アブサロムから逃れたときに」と注がある。イスラエルの王ダビデが自身の子から反逆されるという、とんでもない状況で書かれたのが3篇。そして5節には、敵に取り囲まれているそのただ中で「主が私を支えてくださる」とある。「主が私を支えてくださる」というと、どんなに特別なことかと思いきや、5節には寝起きという日常のことが語られている。

今回、肋間神経になって、2月の沖縄滞在10日間のうち、最後の3日間くらいは、末の息子の家でお世話になった。畳の上に布団を引いて寝たが、とても痛かった。思わず大きな声が出てしまうほど。その中で楽しみは、牧師の集まりに出てから東京に帰ることだったが、少しでも早く家に帰らなければいけないという状況だった。

家にある介護用ベッドであれば寝起きが楽にできると思い、それを楽しみにしていたが、痛みでそれもできなかった。君代に手を支えてもらわないと、寝られないし、起きられなかった。自分で寝られない、起きられないことを経験して、寝起きすることがどんなに恵みかを感じた。小さなこと、当たり前のことに恵みを感じなければ、と言葉では言ってきたが、この5節のことを、体を持って経験した。

「小さなことのうちに恵みを知る」とは、私の言葉で言えば、「小さな者を侮る者は、大きな者にたじろぐ」。小さなことに恵みを見ることができないのであれば、困難に見える状況の中で、主の守りを確信することは難しい。

6節を見ると「幾万の民をも恐れない」とある。寝たり起きたりすることと、幾万の人々に囲まれることを比較するのはおかしいことだが、幾万の人々さえも恐れないという確信は、小さなことに対する恵みを知らなければ持てない。

クリスチャントゥデイにおいても、この確信を持たなければいけない。単なる情報が発言力を持つのではなく、現実の中で信頼の判断を。どんなに幼くても、どんなに小さくても、私自身の告白として、「主が私を支えてくださる」と告白すること。

そういった意味で、クリスチャントゥデイの編集会議は礼拝の場であると言ってきたが、これはクリスチャントゥデイに関わる一人一人が御言葉に生き、そしてその中から、生きた記事を書いていこうとすること。5節と6節の内的な関わりを、この2月、3月に考えさせられた。4月からは大きく主に期待していきたい。

(2)前回議事録確認
(3)アクセス報告
(4)取材スケジュール確認
(5)イースターの寄稿について
(6)設立17周年企画について