2021年12月10日金曜日

第127回編集会議(2021年12月10日)

開催日時:2021年12月10日(金)
開催場所:岩本町事務所

(1)聖書メッセージ(井手北斗編集長、本文:使徒3:1〜16)

足が不自由とはどういうことか。自分の思い通りに行きたい場所に移動できないこと。自分の人生を振り返ってみると、いつでも自分の思い通り、理想的な姿で人生を生きることができていたわけではない。理想の自分としては、このように仕事をして、このようなことを達成したいと願っていても、その通りにできたことなどほとんどない。だからできないことが前提になり、施しを求めるように他の人間に依存して生きるようになることもあったろうと思う。それで当面の困りごとを避けながら、回避し続けて生きることもある。しかしそのようなことを繰り返しても歩けるようには決してならない。歩けるようになるために役に立つことではない。

神様の視点から本文を見てみると、別の景色が見えてくる。ペテロとヨハネをこの人に遣わしたわけだが、遣わした意図を想像してみる。イエス・キリストが殺害された直後。弟子たちが遺体を持っていったというフェイクニュースがユダヤ人たちの間で拡散している最中の出来事だったと思う。そこで、ペテロ、ヨハネ、この男の3人を神様がちょうどこのタイミングでめぐり合わせ、イエス・キリストの名によって、ユダヤ人らの目の前で、この癒やしの奇跡を起こし、言い訳のできない形で、イエス・キリストが神の子であったことを証明してみせた。

この奇跡の起きる前の時点では、ユダヤ人たちから見たら、ペテロとヨハネは、ユダヤ人の王や神の子でないのに、そう自称して処刑されたイエスという冒とく者の弟子だということになる。しかし神様は、そのイエス・キリストの名前でこの男を癒やした奇跡を通して、ユダヤ人たちにその認識が間違っていたことを示したということだろう。

今回、オックスフォード宣教研究所で、「教会と駅」をケーススタディーとして、宣教学に情報技術がどう応用できるのかについて講演してほしいと依頼され、スライドを作り、話した(講演動画)。オックスフォード宣教研究所は1983年に西洋以外の国々の教会指導者に高等教育を施すために、アジア、アフリカ、ラテンアメリカの宣教学者らによって設立された。ここの教育を受け、卒業すれば修士課程と博士課程の学位を得ることができる。場所はオックスフォード大学の学生街にあるが、学位はロンドンのミドルセックス大学との提携による。近いのでオックスフォード大学の教職者もここで研究指導をするそうだ。日本からもアッセンブリーズ・オブ・ゴッドから研究しに行った人もいる。

そういう場で日本人として講師に呼ばれ、英語でオンライン講演する機会というのはあまりないことだと思う。講演後、国内外のキリスト教関係者からお褒めの言葉を頂いたが、自分はすごくないと思っている。すごいのは自分を立たせたナザレのイエス・キリストの名でしかない。自分は、自分の力では立ち上がることのできない人間だった。しかし、自分の周りの人たち、国際基督教大学で聖書を教えてくださった並木浩一先生や永田竹司先生をはじめとして、聖書研究を通して神、罪、救い、世界宣教と、キリスト教の教理を丹念に教えてくれた東京ソフィア教会の宣教師や信仰的な助言をくれた張在亨牧師、東京ソフィア教会が解散した後に温かく迎え入れてくれた東京バプテスト教会のデニス・フォルズ牧師、この「教会と駅」の原型ともなった国際基督教大学の卒業論文を指導してくださった故ルカーシュ・ピフル先生、オリベット大学工学部の教授陣、その他いろいろな人たちが、金銀はなくとも、その人たちにあるものを、イエス・キリストの名によって自分にくれたからできたことだ。

クリスチャントゥデイが偽物のキリスト教信仰の上に歩んでいるのか、本物のキリスト教信仰の上に歩んでいるのか、あたかもはっきりしないかのように、まだうだうだ言っている人がいると聞いた。中には完全に誤解したままの人もいるとも聞いた。「教会と駅」が海外の宣教学者の人たちから評価されているのは、自分の力や信仰深さによるのではない。「教会と駅」の開発までに至る全行程が、神による人類の創造、人の罪、イエス・キリストの十字架による救いと復活、そして救いの知らせを自分のものだけにとどめておくのではなく、全世界の人に伝えるよう命じられたイエスの名によってなされたからだ。

今後もクリスチャントゥデイが、ただイエス・キリストの十字架と復活を信じ、救いの福音を大胆に宣べ伝え、また宣べ伝える人を、報道を通して支え助けていくことで神の御業をなしていくことを願う。

(2)前回議事録の確認
(3)先月までの振り返り
(4)クリスマス・年末年始の記事について