開催日時:2021年4月16日(金)
開催場所:岩本町事務所
(1)聖書メッセージ(井手北斗編集長、本文:出20:16、マタイ5:37)
パウロはローマ書13章で、どの戒めも「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ」という言葉に要約されると語り、イエスは最も大切な戒めは、神を愛すること、そして隣人を愛することだと述べた。
「愛の達成」と「隣人への偽証」について考える機会があった。本文は十戒。3つの立場が想定される。1)偽証する人、2)偽証される人、3)偽証を聞く人。「偽証した人」が加害者として認識されるのは当たり前。しかし、偽証によって被害を被るのは誰か。偽証の被害者は誰か。
「偽証された人」は当然、精神的、肉体的、物質的な被害を被る。しかし、ここで破壊されるのは「偽証された人」の心やその人に属する物事だけではない。「偽証された人」と「偽証を聞いた人」が、良い関係、隣人愛を実践し合う関係にあった場合、その関係を破壊する被害が生じる可能性もある。
「偽証された人」と「偽証を聞いた人」が、まだ互いを知らない場合であっても、将来構築することができたはずの、隣人愛を互いに実践し合う関係を最初から構築不可能な状態にし、隣人愛の実践の前提を破壊する被害が生じる。
これに加え、偽証が偽証だと明らかになることで、さらに破壊されるものがある。「偽証した人」と「偽証を聞いた人」の間の人間関係、信頼関係、信用だ。「偽証した人」と「偽証を聞いた人」の間に隣人愛を実践する関係がすでに構築されていた場合、その関係が破壊されることもあり得る。「偽証した人」がまだ関係を結んでいなかった人たちにも、この人は信用できないのではないかというつまずきの石を置くことになってしまう。将来の隣人愛の可能性はここでも破壊され得る。
全知全能の神は偽証にだまされるお方ではない。偽証とはその全知全能の神の前で行う偽りであるのだから、まるで神がいないかのように振る舞い、真実を知っておられる神の代わりに神に成り代わって、偽りと真実を取り替えて人に提供する。神の権威を否定する反逆であると同時に、神の存在を無視することで、神と「偽証した人」との間の愛の関係も破壊されてしまう。
偽証が偽証であることを知っておられる神がそれを永久に放置し、真実を隠すことはない。
「パリサイ人のパン種に気をつけなさい。それは彼らの偽善のことです。おおいかぶされているもので、現されないものはなく、隠されているもので、知られずに済むものはありません。ですから、あなたがたが暗やみで言ったことが、明るみで聞かれ、家の中でささやいたことが、屋上で言い広められます」(ルカ12:1〜3)
最も顕著な例の一つが、「墓から弟子がイエスの死体を持っていった」という偽証だろう。世界最大の出版部数を誇る書籍、聖書に記録され言い広められることで、当時のユダヤ人指導層が予期していなかった規模で、この偽証が偽証であることが言い広められ明らかになっている。
そして、偽証による最も大きい被害は、神と人が互いに愛し合い、人と人とが互いに愛し合う世界が訪れることを願い、物事や人を通して現実世界に日々介入し、生きて働いておられる神の愛の関係構築の努力を、殺人、姦淫(かんいん)、窃盗と同様に否定し、遅らせ、破壊してしまうことだ。
クリスチャントゥデイでは、イエス・キリストが自分の罪を代わりに背負い、十字架で死なれ、復活され、自分は救われたと信じる信仰を告白する者たちがこの新聞を作っている。同じように信じるクリスチャンたち、兄弟姉妹の役に立とうと、仕える者でありたいと願い日々働いている。しかしある日、「あいつらはそんな信仰を持っていない偽兄弟だ」と偽証する人たちが現れ、隣人愛の実践の機会を、将来構築することを願っていた隣人愛の実践の機会を、少なからず破壊した。その破壊によってもたらされる被害がどれほど悪い影響を持つのか、どれほど広範囲に及ぶ罪なのか、被害者として身を持って体験したのがクリスチャントゥデイだといえる。
ヨセフは創世記50章20節で自分に悪をなした兄弟たちに対して、「あなたがたは、私に悪を計りましたが、神はそれを、良いことのための計らいとなさいました。それはきょうのようにして、多くの人々を生かしておくためでした」と述べた。
ヨセフは悪が悪でなくなったと言ったわけではない。ヨセフになされた悪は悪のまま厳然として聖書に記録されている。しかし、ヨセフは赦(ゆる)した。そして、神が良いことのための計らいとしてその悪を用いたと信じた。神が、クリスチャントゥデイになされた偽証という悪を良いことのための計らいとされ、用いられるとしたらどのように用いられるだろうか。日々考えを深めていきたい。
キリスト教ジャーナリズムを日々実践する中で、偽証によって破壊された関係があれば、その偽証を検証し、暴露し、真実を言い広める場所として、イエスの言われた「屋上」として、破壊された隣人愛の機会を再構築するための道具として、クリスチャントゥデイが神に用いられるよう願う。
「はい」と言うべきときに「いいえ」と言って真実を偽りと取り替え、偽証する者が発信する情報が流されるとき、一人残ってでも、最後の一社となってでも「はい」と言い続ける勇気と、神を畏れ敬い、愛する信仰に固く立ち続けるクリスチャントゥデイであることを願う。
(2)前回議事録の確認
(3)先月までの振り返り:アクセス報告
(4)CT創立19年記念企画
(5)今後の予定