2020年11月10日火曜日

第118回編集会議(2020年11月10日)

開催日時:2020年11月10日(火)
開催場所:岩本町事務所

(1)聖書メッセージ(井手北斗編集長、本文:使徒2:14〜21、箴言29:18)

「幻がなければ」。欽定訳聖書では、「ビジョンがなければ」となっている。編集長に就任しておよそ1年になった。もう一度、CTのビジョンについて考えたい。

ティモシー・ケラー牧師(ニューヨーク・リディーマー長老教会)による『センターチャーチ』とう本がある。ニューヨークという非常にリベラルな都市で、若者がたくさん集まる教会として成長した。なぜ成長したのか、さまざまな都市から牧師がやってきて質問した。その質問に答える過程で書かれたものが本書。一番大事なものとしていたのが「神学的ビジョン」だった。その前提になるものは、教理的な基礎。私たちは何を信じるのか、時代や場所に影響されないもの。端的にいえば、イエスの十字架と復活。イエス・キリストが私たちのために死なれ、私たちの罪を負われ、十字架にかかって死なれ、3日目に復活されたこと。その立脚点に立ちながら、置かれた時代、場所、文化、などの環境をどのように見るのかが神学的ビジョン。打ち立てるだけでなく、それを形成したあとに、具体的な活動を決めていく。時代や場所を通して変わらない教理を時代や場所に合うように信仰的に言い換えることが「神学的ビジョン」。これが教会でも宣教団体でもCTでも行動哲学や強調点として、具体的な行動を取るときの指針になる。

言論機関であるCTにおいても、「神学的ビジョン」は役に立つ枠組みではないか。では、CTの置かれた環境は何か。この時代はどのような時代で、CTはどのような場所にいるのか。

CTが置かれた文化的・政治的環境は何か。これは世代によって変化がある。団塊の世代が去った社会は政治的環境に相当な変化が生じるだろう。これからの若い世代が属するのはどのような文化的文脈なのか。自分たちより若い人たち、10代、20代の人から学び続けなければならない。常に問い続け、福音の本質は妥協せずに、その文脈にあった話法、用語、たとえ、メディア形式、表現方法を探し求め、刷新し続ける必要がある。

もう一つの切り口として、技術的環境がある。メディアで取り上げられないところでも、技術的な革新はたくさん起こっている。注目したいのは、素人が技術的なことはあまり学ばなくても、手軽に技術の恩恵を受けることが可能になってきたことだ。例えば、調べものとするときにも、ネットにつながっているなら、日本にいてもリルタイムに、数分で椅子に座った状態で、無料で、アルメニア主教のフェイスブックページを簡単に閲覧でき、声明やコメントを自動で日本語に翻訳もできる。一昔前なら、飛行機に乗って現地に赴き、通訳者がいなければ不可能だったろうし、それには資金が必要だ。たとえそれができても数日かかった。技術的な発展により、単に取材が簡単になっただけでなく、以前は不可能であった方法で情報の取得が可能になってきた。

空間的環境はどうだろうか。CTはインターネット媒体なので地理的国境の壁には制限されない。しかし一方で、日本語媒体なので日本語という言語の壁の内側に制限されている。CTが存在するのは全世界にまたがるネット空間の中で、特に日本語空間だといえる。日本語というと日本という国だけ、日本人という国籍や人種に限定された言語のように一般的には思うかもしれない。しかし、日本語のできる人は日本国内だけにいるわけでも、日本国籍しか持っていないわけでも、人種的日本人しか含まないわけでもない。海外に住んでいる日本人、これから日本に来る外国の方々、日本にいながら第2言語として日本語を学んでいる人たちも覚えていきたい。そういう人の中にクリスチャンの割合が高いかもしれない。数の多さ少なさにとらわれないで、そのような方々も神様が触媒のように用いてくださることは可能だ。日本語ができれば、すべての国に住む人、すべての人種の人々が、CTが情報を提供していく受益者になる。

そのような文化的、地理的な文脈の中で、私たちが信じている教理的な基礎をもって、何を伝えていくのか。

福音を伝えている人の励みになること、また、福音を伝えている人たちを支える人の励みとなること、福音を伝える彼らを守ろうとする人たちの声を伝えることが挙げられる。読者が皆クリスチャンではないから、いろんな種類の読者を想定しながら、彼らが読むときに、同意はしないまでも、このような意見があったと理性的には読めて納得はできるもの、そのようなところを、編集方針に落とし込んでいければと思う。

今、時代の変化が加速度的に大きくなっているので、これを日々頭の片隅に置きながら、これを伝えるときにはどのように伝えたらいいのか、この文脈ではこうだと、編集方針を洗練させていくこと。そのために、CTの神学的ビジョンを作っていこうと。例えてみるなら、地図を作ること。地図があれば自分が行きたい所も、今いる所も分かる。リソース的に足りない現状、うまくやれていないことも多くある。その現状を把握して、神学的ビジョンをもって、ではどこに行くのか。到達点を把握しないと、地図を見ないで行くことになる。地図のように神学的ビジョンがあるときに、経路も作り上げていくことができる。経路は実際の活動と見ることができる。途中で変更することもあり得るが、到達点を決めれば、そこに向かっていくことができる。目指すべき編集の在り方に向かって、日々改善を重ねていく。以前の報道より、今日の報道の方が良かったとなるようなCTにしていきたい。

(2)前回議事録の確認
(3)先月までの振り返り
(4)今後の予定