開催日時:2020年10月7日(水)
開催場所:岩本町事務所
(1)聖書メッセージ(井手北斗編集長、本文:マタイ15:10〜20)
ジャーナリズムの信頼性について考える機会があり、今日の本文の聖句が思い起こされた。人を汚すものがどこから出てきて、どのように作用するのか。19節の項目の幾つかは、十戒や山上の垂訓にも重なるが、特にその中でも偽証について見ていきたい。偽証者の動機を見ると、偽証する人は、偽証を聞く人のためになることを考えない。偽証は場合によっては検証され、偽証であることが明らかになる場合もあるが、いつもそうとは限らない。多くの場合、間違った情報のまま人々の間に広がっていく。
これとよく似た現象が、食品の流通にも見られる。例えば、産地や原材料の偽装。消費者はラベルを信じて意思決定するが、間違った情報が拡散され、たくさんの人の意思決定を間違わせてしまうことがある。食品流通業界で安全性を担保する指標として、トレーサビリティーという概念が作られたが、情報流通の安全性を考える上で参考になる。どこの誰が、いつ、どう作ったのかを明記する。そこには検証可能性が保障されている。それがあったとしても、うそである可能性は排除できないが、違いは「どうぞここからお調べになってください」と最終消費者に確かめる糸口が提示されていること。われわれは食品ではなく情報を流通させ、最終消費者である読者は情報を摂取し、それを元に意思決定をする。流通した食品に問題があれば健康被害が起きるのと同様、流通させた情報に問題があれば、読者の意思決定にも被害が起こり得る。メディア業界が先行事例として他業界から学べることがあるのではないか。
インターネットによる情報化が進んだ社会では、団体や個人の発信、つまり一次情報にURLが割り当てられ、異なる職種の人が一様にアクセスできる。使おうと思えば食品流通におけるバーコードのように追う(トレースする)ことができる。CTでも可能な場合は、1次情報にリンクを付けるなどしている。正確性に疑問があれば誰でも「どうぞここからお調べになってください」という意味でもある。それを見れば読者が検証したい場合にできる。大事なのは、日々の業務における動機ではないか。トレーサビリティーは、販売者が消費者の立場に立ち、食の安全に寄与するという動機があったので実現した。しかし、会社や利害団体の立場が優先されるとそれができない。CTが読者の立場に立って何ができるかを考えたい。
それに付随して、では、キリスト教ジャーナリズムとして、どのような動機が求められているのか。一つの答えとして、1コリント13:13を提示したい。「いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です」。私たちが日々の業務において愛を追い求めているのか。報道された団体や人の働きを見た読者が「あのような信仰を持ちたい」「あれなら希望が持てる」「あの人のように愛せるようになりたい」と思えるような記事を提供できているか。一方で、その逆もあり得る。それは、読者のことを考えずに、ただ自らの利害関係のためを思えばできてしまう。事実、CTに関して拡散されている情報の多くに、利己的な動機に基づいて信仰でなく疑念を植え付け、希望ではなく絶望を想起させ、愛ではなく憎しみをあおるものが散見される。この真逆の報道を通して、信仰と希望と愛を実践し、これぞキリスト教ジャーナリズムだと読者の目に一目瞭然な報道姿勢を示し続けるメディアになることを願う。
(2)前回議事録の確認
(3)先月までの振り返り:アクセス報告
(4)今後の予定