2020年9月4日金曜日

第116回編集会議(2020年9月4日)

開催日時:2020年9月4日(金)
開催場所:岩本町事務所

(1)聖書メッセージ(井手北斗編集長、本文:2サムエル16:23)

アヒトフェルの助言はいつも多くの人が同意する内容で、非常に合理的で賢かったようだ。この人物がどのようなことをして、どのような結末を迎えたか。そこに見られる神様の働き掛けを見る。

アヒトフェルが登場するきっかけが15章に出てくる。ここでなされていることを見ると、戦慄を覚える。まず思い浮かぶのは、出エジプト20章16節、十戒の一つに偽りの証言をしてはならないとある。アブシャロムは門に通じる道のそばに立ち、「王の側にはあなたのことを聞いてくれる者はいない」(15章3節)と言う。どうやって分かるのか。しかしはっきりと断言する。そして、誰かが私をこの国のさばきつかさに立ててくれたらと。ここに、アブシャロムの狡猾さが見える。そのようなことを4年間やっていた。

15章7〜11節。十戒には、主の御名をみだりに唱えてはならないとある。主に立てた誓願を果たすためにとあるが、自らの策略のために言っている。NIVには、主の御名を misuseしてはならないとある。誤用、乱用の意味だ。王の目を離れて秘密の集会を開き、クーデターを起こすため、王をだますために主の御名を用いた。

CTに対し、教団や連絡機関の意思決定者たちが、何か決定したことがあるかもしれない。しかしその意思決定が、誰かの進言によるものかもしれない。さらに、その進言があたかもその団体のためであるかのように装って主の御名を用いて助言されたものかもしれない。見る人によってはすごく納得のいくものかもしれない。もっともらしく、動機が純粋にさえ見える。9節を見ると、父としては当然、子の発言を疑わない。しかし、本当のところはだまされて下した、間違った意思決定だった。この間違えさえも、神様はくつがえしてくださる。

15章12節、ここでアヒトフェルが出てくる。呼び寄せるほどなので、人々が高く評価していたようだ。彼がアブシャロムに加担したら危なくなるという状況だった。それが15章31節のダビデの祈りにつながっている。この祈りが神にどう聞かれたか。直後の32節に書かれていることに、神の働き掛けを見る。フシャイがダビデに会いにきた。彼がこの後、アヒトフェルの助言を撃ち壊すことになる。

17章1〜4節、普通はここで終わる。アヒトフェルが非常にうまい作戦を考え、全長老も受け入れた。しかし、アブシャロムは言った。5節「アルキ人フシャイを呼び出し、彼の言うことも聞いてみよう」。ここに神様の働き掛け、ダビデの祈りへの答えがある。フシャイの助言より、アヒトフェルの助言の方が賢いようにも見える。しかし14節では、アブシャロムもイスラエルの民も、「アルキ人フシャイのはかりごとは、アヒトフェルのはかりごとよりも良い」と言う。これは主が決めておられたことだった。「みな言った」とある。みなの心にその考えが生じ、舌を通して口に出た。

はかりごとの良さと神様の与えられる結論は、いつも同じわけではないことを教訓として学ぶ。アヒトフェルはこのショックで自殺してしまう。体面を失った。ここでアヒトフェルが見逃していたものがある。それは、自分が加担したアブシャロムが、隣人に偽りの証言をしていたこと、主の御名を乱用していたことだ。彼なりに良い仕事をしている。しかし、それは神様に認められるものではなかった。アブシャロムとイスラエルの民の舌を通して、主は答えを下さった。「人は心に計画を持つ。主はその舌に答えを下さる」(箴言16章1節)

いろいろな人が心に計画を持つ。しかし、その計画が神様に認められるかどうか、それは計画の良し悪しではなく、神様の御心にかなうかどうかによる。計画がどんなに優れていたとしても、それが神様の御心に反するものであったなら、その計画はつぶされる。主は人の口を通してその答えを下さる。

(2)前回議事録の確認
(3)先月までの振り返り:アクセス報告
(4)今後の予定