2020年4月21日火曜日

第112回編集会議(2020年4月21日)

開催日時:2020年4月21日(火)
開催場所:Workplace

(1)聖書メッセージ(井手北斗編集長、本文:ダニエル書3:8〜18)

新型コロナウイルスの災禍にあり、この御言葉を思うようになった。そのまま今の状況に当てはまることではないが、米国でも韓国でも、反キリスト教の勢力がある。米国、韓国で行われていることを見ていると、キリスト教に対して否定的な感情を持つ人々が、政府に対して、教会が礼拝をささげることは不要不急でよくないことだと言ってやめさせるよう願ったり、規制に従わず礼拝をささげた教会を責め立てたりしている。一方で韓国では、そういう人たちは営業を続けたナイトクラブなどは批判していない。それに対してダブルスタンダードだという声が上がっている。米国では、礼拝をささげた牧師が逮捕されたが、その教会や牧師のために「まず祈ろう」という反応ではなく、クリスチャンの間でも批判する声が多く、信教の自由という視点で発言する声は少なかった。メディアに大事な役割があると思わされる。

王に告げて言った者がいた。カルデア人がユダヤ人たちを訴えたとある。神様を信じる人たちに敵対的な心を持っている人たちがいたことが記録されている。意図的に事実を歪曲して王に告げ口している。現代のキリスト教に否定的な心を持った人たちにも、そのような姿は見て取れる。民主主義の国では、国民に主権がある。その国民の心に悪いイメージを持たせようとする報道がある。それに対して、この3人がどう答えたか。神の主権について王に大胆に宣言している。王の怒りを収めようとはしなかった。自分たちの信じることを曲げなかった。

礼拝の方式については、それぞれの違いはあってよいと思う。だが、一つ捨ててはいけないのは、「あなたの神々に仕えず、あなたが立てた金の像を拝むこともしません」。これは譲ってはいけないし、ここに関しては一致していけるのではないか。それ以外のことについては、互いに非難し合わないことが大事なのではないか。違いがあっても、それを乗り越えて愛し合うことができる。そして、反キリスト教の勢力を見分け、それにくみしないことが大事なのではないか。

(2)3月の振り返り:アクセス報告
(3)創立18周年企画について
(4)今後の予定