2020年3月5日木曜日

第111回編集会議(2020年3月5日)

開催日時:2020年3月5日(木)
開催場所:岩本町事務所

(1)聖書メッセージ(井手北斗編集長、本文:マタイ27:62〜64)

イエス様のことを「人をだます男」だと言っている。また2コリント6:8〜10では、パウロが「人をだますように見えても、真実であり」と言っている。エペソという町で、銀細工の職人たちからパウロも容疑をかけられる。あたかも悪人のように、間違った教えを広める人のように扱われる。だからといって、パウロはうそをついていない。しかし、扇動する人がいた。反対者によって作り出されるまったく逆の印象がある。

これは現代にも起こり得ること。今、進化論と創造論を対比する本を読んでいる。進化論の立場からは、創造論は人をだますものだといっており、創造論の立場からは、進化論こそ人をだますものだといっている。私たちもそう。根田祥一氏が間違った情報をJEAに提供したことを発端にして、私たちのことを「だます」存在のように見る人もいる。実際はそうではないのに、中には混乱する人もいる。これらに共通するのは、見分けがつきにくいこと。

いつも覚えるのは、毒麦のたとえ。途中で抜くと、良い麦と毒麦がからまって一緒に抜けてしまう。だから、収穫の時まで待って刈り取る。ここで考えるべきことは、時について。神様に時があり、私たちにコントロールはできない。でも、見分けられる変化の時が訪れる。ぱっと見て分からないものも、実りを見たら分かる。そういう時は必ず来る。悪には終わりがある。いま善悪が分からないものでも、悪の実りが結ばれ、誰の目からも一目瞭然の時が来る。その時まで悪が処理されないことをもどかしく思うときがある。でも、毒麦のたとえが語り掛けるのは、それも神様の御手の内に支配されていること。誰から見ても、はっきり悪だと分かるときに、裁きが下る。私たちがすべきは、善の実を結ぶこと。悪が焼かれることも大事だが、収穫の時に善の実りがたくさんあるハッピーエンドになるよう、祈りつつ歩んでいきたい。

(2)2月の振り返り:アクセス報告
(3)3・11、イースター、ペンテコステについて
(4)18周年記念企画について
(5)今月すること