2017年11月20日月曜日

感謝できない時に感謝できること 中橋祐貴

主の御名を賛美いたします。

私は小学3年生の時に不登校になりました。優しいクラスメートが手紙をくれたり、自宅を訪問してくれたりしたおかげで、ある時から学校へ行けるようになりました。

その友達は、アメリカ人宣教師が開拓した近くの教会に通っていました。そのクリスマス礼拝に誘われて、兄弟でドキドキしながら行ったことを覚えています。すると、宣教師夫妻が満面の笑顔で私たちを迎えてくれたので、すぐに打ち解けることができました。

その友達が福音を伝えて、愛の心で接してくれたおかげで、今の私があります。こうして私は、そのまま教会につながり、小学校6年の時に弟と一緒に洗礼を受けました。教会に導かれて明るく変わっていく私を見て、両親も間もなく受洗しました。

私は、最愛の父を20歳の時に病気で亡くしました。熱心なクリスチャンだった父の姿を見て、多くを学びました。父は、「クリスチャンの特権は、感謝できない時に感謝できることだよ」と私に話してくれました。この言葉が強がりや自虐的な生き方に感じた時もありました。しかし、確かに私の38年間の人生は波乱万丈でいろいろなことがあり、常識的には決して感謝、ハッピーには思えません。しかし、私の周りには常に教会の牧師をはじめ、神の家族がいて、友人や助け手がいました。妻の存在も大きいです。こんなに弱くて小さな私ですが、ただただ神様の愛ゆえに生かされ、今があるのだなと感謝でいっぱいです。

私がよかったなと思うのは、クリスチャントゥデイの仕事の中で、たくさんの方にイエス様のすばらしさを伝えられることです。絶望の中にある方、悲しみに直面している方、逆に毎日が充実している方、どんな方であれ、神様の御言葉は必要です。伝え続けなければなりません。

荒んだ世の中となり、世界は争いが絶えず、1度たりとも戦争が起きなかった日はいまだかつて地球上でありません。私はクリスチャンとして隣人を愛するという聖句を覚えて、家庭から平和を作り上げていきたいと思います。

主イエス・キリストこそ私の主、私の神様です。

感謝しつつ。

見失った1匹を見つけ出すまで 矢田喬大

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私は1984年、三重県四日市に、3人きょうだいの末っ子として生まれました。実家は浄土真宗で、親類縁者にクリスチャンは1人もおらず、キリスト教とはまったく無縁の環境に育ちました。私自身も中学と高校の6年間、仏教系の学校で学びました。

その後、関東の大学に進学でき、あこがれの一人暮らしも始まりました。そこでクリスチャンの先輩と知り合い、先輩の通う長老系の教会に一緒に通うようになりました。ただ、神様に触れていただくまで、クリスチャンになることには強い抵抗感を持っていました。

大学3年生の夏休み、先輩の紹介で米国のクリスチャンホームにホームステイした時のことです。教会の祈りの集会に参加した時、数人のグループに分かれて祈る中で、私のために祈ってもらう時間がありました。私も一緒に目を閉じました。その時です。心の中にとても熱い何かが入ってきて、その瞬間に私の中で大きな変化が起こりました。

「あなたがたの中に、百匹の羊を持っている人がいて、その一匹を見失ったとすれば、九十九匹を野原に残して、見失った一匹を見つけ出すまで捜し回らないだろうか。そして、見つけたら、喜んでその羊を担いで、家に帰り、友達や近所の人々を呼び集めて、『見失った羊を見つけたので、一緒に喜んでください』と言うであろう」(ルカ15:4~6)

それまで何度も読んだことがある「見失った羊」のたとえが、この時、なぜか心に強く響いてきました。そして、羊飼いが99匹を見捨てても、必死になって捜すその1匹が自分なんだと気付きました。その瞬間、神様の深い愛が私の心の中になだれのように一気に入ってきたのです。

同時に、私が生まれてからずっと、このような深い愛が注がれ続けていたことも分かりました。それにもかかわらず、長い間ずっとこの神様の愛を無視し続けて生きてきたことを、本当に申し訳なく思う気持ちも湧き上がってきました。

「神様、本当にごめんなさい。こんなに神様が愛してくださっていたのに、今まで気付くことができませんでした。本当にごめんなさい」と涙で祈りました。これが私とイエス様との出会いの瞬間です。

それまでは、とりあえずいい大学に入り、いい職について、人生の後半は楽をしたいと思っていました。何よりお金があれば人生はすべてうまくいくと信じていました。でも、そのようなちっぽけな考えは、イエス様に出会って大きく変わりました。この若さを、まず神様のためにおささげしたい。この喜びを1人でも多くの人に伝えたいという思いが、心の底から湧き上がってきました。

こうして2005年の夏、私は信仰の決心に導かれ、現地の長老系の教会で洗礼を受けました。そして帰国後、ウェスレアン・ホーリネス教団淀橋教会に通うようになり、同じ年のクリスマス、転会をして、現在は最年少の役員として教会に仕えています。

また、帰国した直後から、このクリスチャントゥデイの働きに在学中から関わるようになりました。そして、2011年から初代の働きを引き継いで、社長を務めています。

また、2009年に結婚し、3人の子どもにも恵まれました。長女の安奈は6歳、次女の尚実は3歳、長男の聖文は1歳になります。

安奈は小耳病といって、右耳が未形成の状態で生まれました。どうにか耳が聞こえるようにと必死で祈りながら診察を受ける中で、どうやら聴力は正常だと分かり、神様に感謝しました。耳の手術は、体の成長が終わる中学生ごろを予定しています。女の子なので、耳の形を気にすることが多いと思いますが、日曜学校の先生や友達からたくさんの愛を受けて元気な子に育っています。

尚実は、出産前に肺に腫瘍(しゅよう)があることが分かりました。シーカム(CCAM、先天性嚢胞状腺腫様形成異常)という症状で、最悪の場合、出産時に腫瘍が膨張し、心臓や肺を圧迫して非常に危険な状態になるとのことでした。しかし、教会の多くの方が祈ってくださり、神様が完全に癒やしてくださったのです。MRIの結果、肺にまったく腫瘍が確認されず、きれいな状態でした。そうして、無事に出産することができました。

出産後、肺の一部に新たな腫瘍が確認され、昨年12月、肺の4分の1を摘出する大手術が行われましたが、神様の恵みによって大成功に終わりました。術後の経過も順調で、今も元気にすくすくと育っています。

神を信じる者に与えられる患難は、忍耐と練られた品性を生み出し、神の約束に確かな希望を見いだし、最後まで神に拠り頼む者とされるため、また、神からのより深い慰めを受けるためであることを教えられています。小さく取るに足りない土の器ではありますが、この文書伝道の働きを通して1人の魂が救いに導かれることをいつも祈りながら、主が見せてくださった同じ道を最後まで歩ませていただきたいと願っています。

「ごんぎつね」とキリスト 雜賀信行

幼い頃から切ない物語が好きだった。小学校低学年の時だったと思うが、雑誌に載っていた新美南吉の「ごんぎつね」に感激し、そのページだけ剥(は)がして綴(と)じ直し、学習発表会で朗読をした。しかし、ラストシーンでは感極まって読めない。そんな子どもだった。

今から35年前。17歳。高校3年生の春、友人に誘われて初めて教会に行った。岡山県南にある日本同盟基督教団(当時は単立)西大寺キリスト教会(赤江弘之牧師)だ。映画会と言われて、「十戒」でも観られるのかと期待して行ったら、「ムーディーの科学映画」でがっかりした。その帰り、友人から三浦綾子『塩狩峠』をプレゼントされたので、すぐに読み、感動はしたのだが、それだけだった。幼い頃と比べると、ずいぶんひねこびてしまった。

詳しい経緯は省略するが、その後、当時の仲間が次々に洗礼を受けていく中、僕も消極的ながら教会に通うようになった。高校卒業後、自宅浪人をしていたので、いわば人に会うためだ。礼拝以外にも、毎週、牧師から初歩教理を学んだ。「海外の作品の背景にあるキリスト教について学べればいいか」ぐらいの感じである。当時、文学や映画など、受験勉強では満たされない魂の渇きをいやすものを貪欲に求めていた。

それまでずっと優等生として過ごしてきた僕にとっての大きなつまずきは、失恋だった。その子のために一生懸命勉強をして、生徒会やさまざまな部活に励んでいた学校生活は、一気に生きる目的を失ったことでブラックアウトした。受験勉強をして大学に行く意欲はすっかり失せていた。

とはいえ、失恋した心の隙間に宗教が入り込むような人間でもなかった。僕は簡単に信じることができなかったのだ。礼拝の時、横を見ると、賛美歌を歌いながら涙を流している女性がいる。「このように素直に信じられたら楽だろうな」と冷ややかに見ているような人間なのだ。

高度経済成長期、共働きの両親のもと、何不自由なく「いい子」として育った僕に、「何としてでもいい大学、いい会社に入ろう」というハングリー精神もなく、人生の踊り場で立ち往生していた。確かにあのまま順調に進むと、傲慢で鼻持ちならない、人の痛みの分からない人間になっていただろう。それにしても、あれほど混乱していた時期はなかった。

心の隙間は、人でなければ埋められなかった。浪人生にあるまじきことに、遠距離恋愛をした。海外にホームステイした時、知り合った人と意気投合して、帰国後も文通をした。ところが、彼女からの返事もそのうち間遠になっていく。そりゃそうだ、あちらは大学生活で忙しい。しかし、こちらは自宅浪人。毎日、郵便配達のバイクの音が聞こえてくると、郵便受けを確認し、落胆することの繰り返し。

そのような日々を送っている時、ふと思ったのだ。これが僕が神様にしていることではないかと。神様は僕からの応答を待っておられるのに、僕の気持ちは神様のほうには向いていない。僕はそれまで全知全能の神の存在を思い描くことはあった。自分のことを何から何まで見ていると思い、怖かった。ただ、神は愛だと言われても、あまり実感はなかった。オールマイティーだから、オートマチックに愛が溢れ流れているようなイメージだったのだ。

しかし、愛はそういうものなんかじゃない。手紙を時間をかけて書くのだって、非常に心を遣う。だからこそ、返事が待ち遠しいのだ。両親の愛だってそうだろう。僕をここまで育てるためには、毎日毎日、食事を作り、小さい時は何から何まで世話を焼いて、その労苦の積み重ねが愛なのだ。だからこそ、子どもが向けてくれる喜ぶ顔が親にはうれしいのではないか。愛とは人格であり、応答だ。その最も基本的な真実にその時やっと思い至ったのである。

さらに、その時ふっと「ごんぎつね」の話も心に浮かんだ。小ぎつねのごんがお詫びのために毎日、栗や松たけを届けていた。その心は相手の兵十にはまったく伝わることがなく、最後には兵十は自分の誤解に従ってごんを撃ち殺してしまう。ああ、これがキリストを十字架に付けたことなんだと了解した。神様はどんなに愛を注いでくださったのか分からないのに、僕はそれを理解せず、むしろ神を誤解し、拒み、自分勝手な理解の中で神に応答しようともせず、キリストに銃口を向けていた。いや、「青いけむりが、まだつつ口から細く出ていました」。

「ごん、お前だったのか。いつもくりをくれたのは」
ごんは、ぐったりと目をつぶったまま、うなづきました。

2017年9月12日火曜日

取材拒否と善いサマリア人

「クリスチャン新聞創刊50周年記念シンポジウム」が11日、お茶の水クリスチャン・センター(東京・千代田区)で開かれ、編集長の雜賀が聞きに行きました。いのちのことば社主催の集会はクリスチャントゥデイ(CT)は「取材拒否」されているのですが、事前の参加申し込みで、「クリスチャン新聞」編集長の髙橋昌彦さんに「取材はしないので、参加してもいいですか」と電話連絡すると、それならかまわないと了承を得ました。雜賀がいのちのことば社の出版部や雑誌部で編集者として働いていた頃から、新聞の広告営業をしていた髙橋さんとは懇意にしています。というわけで、記事にはできないので、ブログで裏話的に「取材拒否」について書くことにしました。

「クリスチャンメディアに今求められるもの」というテーマで、高橋さんが司会を務め、朝岡勝先生(日本同盟基督教団徳丸町キリスト教会牧師、同教団副理事長)、大嶋重徳先生(キリスト者学生会総主事、鳩ケ谷福音自由教会協力伝道師)、郡山千里さん(世界キリスト教情報[CJC]主宰、元日本経済新聞記者、日本基督教団富士見町教会長老)、松谷信司さん(「キリスト新聞」編集長、日本キリスト教会浦和教会長老)がそれぞれ語られました。

記事だとその内容を伝えられるのですが、残念ながら、伝える材料があるのに、「取材拒否」ゆえに伝えられません。こういうことを読まれて、どうお感じになりますか。

ともかく、集会に臨むにあたっての基本的な情報から。

「クリスチャン新聞」(いのちのことば社、クリ新)は1967年に創刊されました。初代編集長が関栄二さん、2代目が守部喜雅さん、3代目が根田祥一さん、4代目が中野晶正さん、そして現在の髙橋さんが5代目です。主に福音派内超教派がメインフィールドです。週刊のタブロイド判8ページ、1部231円(税込)。

一方、「キリスト新聞」(キリスト新聞社、キリ新)は1946年の創刊。「カトリックから無教会まで」という超教派(エキュメニズム)をうたい、メインは日本基督教団など主流派ですが、松谷編集長は一般の若い人が読みやすい紙面を目指しています。この7月からブランケット判から「クリ新」と同じタブロイド判(8ページ)にし、紙面も写真やイラストを大きくあしらい、文字を少なくして横組みへと大きく様変わりしました。月3回発行で、1部432円(税込)。

「キリスト教メディア」の中で紙媒体の新聞では他に「カトリック新聞」があります。以前はペンテコステ派に「リバイバル新聞」(1996~2008年)、聖公会には「聖公会新聞」(1948~2015年)がありましたが、現在はありません。

一般紙に目を転じると、この1年で発行総部数が100万部近く減少しており(2016年10月現在、日本新聞協会)、毎年、約100万部ずつの減少が続いています。ピーク時である1997年の5376万部から2016年の4327万部へ、この20年間で1千万部も部数が落ちているのです。地方紙や業界紙の廃刊も相次いでいます。「クリスチャン新聞」「キリスト新聞」も実売部数は公表していませんが、実状が厳しいことは確かです。クリスチャンが日本人口の1パーセントとして単純計算すると、10万部減少していることになりますが、そもそも実売数が10万部以上もありません。さらにその数パーセントではないでしょうか。

そのような中で私たちCTは、多くの方に読まれるキリスト教オンラインメディアとして成長することができました。これは苦しい試みの中にあっても支え導いてくださった神様の恵みであると感謝しています。

しかし困ったことに、この集会のように「取材拒否」をされると、記事として掲載できなくなります。本来、報道機関が事実や情報を伝えること(報道の自由)は、国民の知る権利に奉仕するものとして、「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」という日本国憲法第21条に基づき、保障されています。それにもかかわらず、「取材拒否」をされた時には、「このシンポジウムのことが知りたい」「CTではどんな記事として書かれているだろう」という読者の期待に応えることができなくなるわけです。

もちろん、アポなし取材などは、取材相手の迷惑を顧みない失礼で社会性のない行為なので、私たちは必ず取材先に前もって取材依頼をします。ところが、この集会だけではなく、「あんなに注目されている集会なのに、なぜCTにはその記事が載らないのだろう」という場合、取材先から「取材拒否」をされている場合が多いのです。

メディアに紹介されると一時的にお客さんが殺到して対応しきれないので「取材拒否」をするという飲食店はあります。あるいは、やましいことを暴かれたくないと「取材拒否」をされることもあります。都合の悪いことを書くメディアを記者会見から閉め出す「取材拒否」などです。しかし、私たちCTが受けている「取材拒否」は、「あいつは不浄(異端)だから付き合うな」というものです。

それはある教職者のブログから始まりました。それに信用があるキリスト教メディアが乗りました。それを信用した影響力のあるキリスト教組織が「取材拒否」声明を出しました。

あまりにも名誉毀損の激しいその教職者を訴え、2013年、裁判でそのブログの文言の削除が命じられました。最終的にその教職者は、警察に事情聴取を受け、事の重大さに直面して、今後同じことを繰り返さないと応じてくれました。

同様の報道をしたキリスト教メディアはそれ以来、私たちを誹謗中傷する記事を掲載しなくなりました。しかし、相変わらず一部で「取材拒否」が続いています。それは上記のような問題があるのですが、キリスト者にとってはなおさら「愛」が問われることではないでしょうか。

「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない」(ヨハネ15:13)とイエス様は言われました。しかし、「ある祭司がたまたまその道を下って来たが、(半殺しにあった)その人を見ると、道の向こう側を通って行った。同じように、レビ人もその場所にやって来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った」(ルカ10:31~32)という「善いサマリア人」のたとえのようなことが多いのが現実です。「さて、あなたはこの三人の中で、だれが追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか」というイエス様の言葉に応える者でありたいと私は思っています。  (文責:雜賀信行)

2017年9月1日金曜日

クリスチャントゥデイ(CT)は統一協会か問題Q&A

Q クリスチャントゥデイ(以下、日本のクリスチャントゥデイは「CT」)は統一協会と関係があるのですか。

関係ありません。会社役員も記者や編集者もすべて正統なキリスト教信仰に立つ教会に所属している信徒や牧師ばかりです。CTでは、統一協会をはじめキリスト教の異端、カルトに対して警鐘を鳴らす記事を随時掲載し、イエスこそ唯一の救い主(キリスト)であることを伝える記事を毎日配信しています。

Q なぜ統一協会と関係があると疑われるようになったのですか。

十数年前、あるキリスト教教職者の方がブログで、CTが統一協会と関係があると発信し続けたことが1つのきっかけです。これに関しては、すでに2013年に裁判で事実確認がされ、CTを誹謗中傷する文言を削除するよう、裁判所から命じられ、現在、そのブログは存在しません。

Q CTが統一協会と関係があるという主張は、具体的にはどういうものですか。

韓国のキリスト教ニュースサイト「クリスチャントゥデイ」を創設した張在亨(ジャン・ジェヒョン)牧師は元統一協会幹部で、自らを「再臨のキリスト」と称して信徒を洗脳しているという疑惑が、ある敵対的な韓国の教職者から出されました。韓国では、有名な牧師がそのように攻撃されることがよくあります。そのような不確かな情報が日本で流され、その「日本版」(実際には別組織)であるCTも、異端であることを隠しキリスト教を名乗ってニュースサイトを運営していると、その教職者はブログを通して警鐘を鳴らそうとされたのです。

しかし、誤解されている私たちCTにとっては、そのために取材拒否を受けたり、異端呼ばわりされたりして、キリスト教メディアとしての働きを困難な中で進めなければならなくなりました。そこで裁判によって事実関係を明らかにした結果、私たちの主張が認められて、統一協会としたブログの文言の削除が命じられました。

Q 張在亨氏は異端の教祖なのですか。

韓国のキリスト教界で、そういう疑惑が事実なのかどうか徹底的な調査が行われましたが、異端ではないとすでに判断されています。当紙会長の峯野も、韓国の主導的な立場の牧師たちや張氏自身に直接会って確認しましたが、問題はないとの確証を得ています。張氏は現在、米国に拠点を置き、世界福音同盟(WEA)の北米地区理事を務めています

Q 韓国の「クリスチャントゥデイ」は異端のサイトだと韓国では考えられているのですか。

韓国のキリスト教界で高く評価され、よく読まれているキリスト教ニュースサイトです。韓国の代表的なオンヌリ教会やヨイド教会などとも良い関係を持っています。韓国の事情に詳しい方はそのことをよくご存じですが、そうでない方はしばしば誤った情報を鵜呑みにしがちです。例えば、「福音派は好戦的で非知性的」「リベラルは信仰的ではない」という一方的で主観的な考えを、キリスト教事情に暗い一般の人が信じるのと同じかもしれません。

Q 日本のCTは韓国の「クリスチャントゥデイ」と関係があるのですか。

日本のCTは、韓国の「クリスチャントゥデイ」の日本支部ではありません。その日本支部は、日本のCTとは組織も事務所も全く別で、1人の韓国人の方が日本に駐在しておられます。「クリスチャントゥデイ」と名前が同じなので混同されがちですが、私たちは日本独自のキリスト教ニュースサイトです。

日本のCTは、日本人の青年Tさん(現在は退社して別の仕事をしているので匿名にします)によって2002年に起業されました。いわばベンチャーです。11年にはウェスレアン・ホーリネス教団淀橋教会の峯野龍弘主管牧師を会長として組織を整えました。今では月間40万ページビュー(閲覧数)もある、日本で最も多くの人に読まれるキリスト教オンラインメディアに成長しています。

名前が同じなのは、米国留学中だったTさんが米国のキリスト教ニュースサイト「クリスチャントゥデイ」(現在は「クリスチャンポスト」)の働きに触れ、そのビジョンに共鳴したことによります。信用ある名前を付けて同じようになりたいと考えたのですが、同じ名前であることにより、現在はかえって日本で同一の異端組織であるかのように捉えられることになったのは残念なことです。

Q 韓国の「クリスチャントゥデイ」から資金の流れがあるのですか。

日本のCTの立ち上げ当初は、韓国の「クリスチャントゥデイ」からスタッフや資金の援助を受けました。それは、Tさんが米国留学中、韓国「クリスチャントゥデイ」の編集長(張氏ではない)に会って援助をお願いしたことによります。しかし、その後、資金提供を受けているわけではありません。

資金の流れについては、会長である峯野をはじめ役員がきちんと把握しています。皆、キリスト教界で信用を置かれている教職者や経営者ばかりです(http://www.christiantoday.co.jp/about/officers.htm)。

実際に事務所に来ていただければ、日本人スタッフ数人が一生懸命、経費を節約し、広告費や献金などによって経済的に支えられながらこの働きを進めていることが分かります。

Q 裁判で事実関係が明らかにされたのに、なぜまだ一部のキリスト教会では「CTは統一協会と関係がある」と言われているのですか。

キリスト教界で大きな影響力を持つ組織が十数年前、そのような見解を出し、裁判の判決が出た後も、昔の判断をそのままにしているのが現状です。事実確認ができない多くの教会では、上の判断がどうなるか、慎重に様子をうかがっているのではないでしょうか。

それらの組織の代表的な方々とは現在、直接会ってお話しをうかがっています。例えば、編集長の雜賀もいのちのことば社の編集者として働き、独立後は主だったキリスト教出版社の編集に携わってきました。両方の立場を熟知しているので、裁判などで明らかになった正確な情報を基に、キリスト教メディア同士が理解し合えるよう、具体的に話を進めています。

何より、私たちの信仰告白でもある記事をよく読んでくださっている方々は、私たちCTが正体を隠してやっているまやかしものか、本物のキリスト教ニュースサイトであるかを見極めておられるのではないでしょうか。

2017年8月1日火曜日

「サポーター」と「寄付」の募集を始めました

いつもご愛読いただき、ありがとうございます。皆様のおかげで、クリスチャントゥデイは月間40万ページビュー(閲覧数)、フェイスブックの「いいね!」数11万9千と、日本で最も多くの方に読まれるキリスト教オンラインメディアとして成長することができました。

記事の一つ一つは、記者が取材をして書き上げ、翻訳者が海外のニュースを邦訳し、さらに編集者や校閲者の手も経て配信しているものです。また、90名近いコラムニスト、寄稿者から原稿をいただくことで、毎日欠かすことなくニュースやコラムを配信しています。

このクリスチャントゥデイの日々の活動を支え、より充実した報道を実現するため、毎月1,000円から定額で支援できる「サポーター」と、1回3,000円からの「寄付」の受け付けを始めました。いずれも、クレジット決済(Payapal)で支払い可能です。頂いたご支援は、日々の取材活動などで必要となる費用に充てさせていただき、希望者には1週間のニュースやコラムをまとめた週刊メールマガジンもお送りさせていただきます。

これまで行っていた「年間スポンサー」についても継続して受け付けております。読者の皆様にはぜひ、祈りと共にご支援お願い申し上げます。

「サポーター」と「寄付」の詳細はこちらをご覧ください。

※ 記事ページ中に「サポーター」と「寄付」の募集コーナーを設置したのに伴い、コメント機能を終了します。これまでご利用いただき、ありがとうございました。

2017年6月16日金曜日

ネットを通して良い知らせを告げ知らせる人、募集中です

クリスチャントゥデイでは新規プロジェクトの立ち上げのため、大わらわの日々を送っています。そんな中、阿久戸光晴(あくど・みつはる)先生が編集会議に加わってくださいました。聖学院の院長と理事長を務め、現在、日本基督教団滝野川教会の牧師をされています。近日中に先生による論説を掲載する予定です。お楽しみに。


ところで、クリスチャントゥデイでは記者を募集中です。

現在、守田と坂本という女性記者が取材して記事を書いています。事務所では、社長の矢田がコラム、編集補佐の内田が国際記事、編集長の雜賀が記者の記事を編集しつつ、新規プロジェクトの仕事をしています。男性の営業マンに中橋がおり、フリーランスの池上さんにも手伝ってもらっています。

しかし、毎日、この人員で記事を更新し続けるのは、とてもハードです。というわけで、「ぜひこの働きに新しく加わってくださる人を与えてください」と皆で祈っているのです。

クリスチャントゥデイは1カ月に40万ページビュー、つまり毎日、1万人以上もの人が見てくださるキリスト教ニュースサイトに成長しました。2002年にクリスチャンの若者によって始められたキリスト教界のベンチャーです。日本には「キリスト新聞」「クリスチャン新聞」「カトリック新聞」という紙媒体での老舗のキリスト教新聞はありますが、インターネットでキリスト教ニュースを毎日配信しているのはクリスチャントゥデイだけです。しかも、見てくださる方の数が圧倒的に多く、この15年の間にずいぶん親しまれてきました。

話題のキリスト教のニュースを検索すると、検索結果の最初に出てきます。ですから、いつも読んでくださっているクリスチャンだけではなく、キリスト教に関心のある人、一般出版社の編集者やさまざまなメディアの方も、私たちのニュースを見て問い合わせをしてくださいます。

これまでキリスト教出版界で30年近く仕事をしてきた私の考えでは、これは今の時代に合った「文書伝道」です。昔は駅前や集会の時に「トラクト」という伝道用の小冊子を配っていました。しかし今は皆、非常に忙しく、パソコンやスマホで情報を得る時代になりました。そういう人たちに分かりやすくキリスト教のことを伝える働きを今日担っているのが私たちクリスチャントゥデイだと自負しています。

今、日本ばかりではなく世界で起こっているキリスト教のニュースを、クリスチャントゥデイのサイトに来れば、誰もが無料で読めます。その中で、クリスチャンは何をどのように信じて生きているのかが伝わるよう、記者たちは心を込めて記事を書いています。ぜひこの記事を読んでキリスト教についての正しい理解を持ってほしい。できれば、そこで福音に触れて教会に導かれ、神さまに祈りながら歩む幸いな生涯に入ってほしい。教会同士が互いの理解を深め合い、共に手を組んで教会を立て上げていってほしい。そう願いながら記事を配信しています。

ぜひ、あなたもこの働きに加わりませんか。キリスト教の最前線でさまざまな働きについている人のところ、現場に行くことができます。もしクリスチャントゥデイの記者でなかったら会えないような人にも話を聞けます。そして、あなたの書いた記事が世界中の人のところに届けられ、読まれるのです。「記事を読んで教会に来ました」「聖書を読みました」。そんな声に励まされながら、あなたのたまものが神さまに用いられる働きです。

経験は問いません。しかし、文章を通して福音を伝えたい。そういう思いを持っている人にぜひ仲間に加わってほしいと願っています。どうぞお気軽にお問い合わせください。詳しい求人内容はここをクリック

(文:雜賀信行)

2017年4月28日金曜日

CT名誉毀損裁判の判決文を読んで

今週は、ゴールデンウィークの特別企画ということで、カルト問題に詳しい先生方をお招きして対談していただきました。1人は教団でのお立場上、匿名になりますが、そのような重要な立場にある方がクリスチャントゥデイの事務所に来てくださり、その内実を見てくださったということだけでも大きな意味があります。もちろん、対談の内容自体も非常に感動的でした。近々掲載しますので、お楽しみになさってください。

本紙がこの4月から、記者のプロフィールの明記(各記事のタイトルのすぐ下に記者名があり、それをクリックすると、記者が何教会に属するクリスチャンかなどが分かる)やこのブログを始めたことなどを、たいへん評価してくださいました。

この対談の企画を思い立ったのは、和賀真也さん(エクレシア会代表、元セブンスデー・アドベンチスト教団八王子教会牧師。著書に『統一協会―その行動と論理』〔新教出版社、1978〕、『統一教会と文鮮明』〔同、81〕がある)が昨年6月に本紙に寄稿してくださった「カルトの脅威とメディアの役割」というコラムで次のように書いてくださったのを読んだのがきっかけでした。

「このクリスチャントゥデイも、一時統一協会との関連が取りざたされていたことがあったが、統一協会側との関連の有無については裁判で決着を付けるまでに向き合った姿勢(は)関係者には学ぶべき点があると思われる。・・・そうした堅実な姿勢を踏まえた上で、こうしたネットメディアがカルトの危険性、問題性を常に世界に発信しているならば、被害者予防だけでなく、すでにカルトに取り込まれてしまっている内部信者たちにも、大きな気付きを与え、多くの人々に良き貢献をなすことになると思う」

今後もこのようなカルト問題についての記事を本紙でも続けて企画・掲載していくつもりです。

ところで、「クリスチャントゥデイも、一時統一協会との関連が取りざたされていたことがあった」というのは、簡単にご説明すると、次のような事情があります。

2002年、クリスチャントゥデイ(以下、CT)は20代の若者Tさんによって設立されました。アメリカ留学中だったさんは、韓国や米国で始められた「クリスチャントゥデイ」「クリスチャンポスト」の活動に触れ、そのようなキリスト教ネット・メディアを日本でも始めたいと考えたのです。そして、立ち上げ当初、韓国でいちばんアクセス数の多い保守的なキリスト教ネット・メディア「クリスチャントゥデイ」から記者や資金などの援助を受けました(現在は、翻訳記事協力だけで、組織的には独立しています)。

その韓国の「クリスチャントゥデイ」の設立者、張在亨(ジャン・ジェヒュン)氏は長老派の牧師で、現在は世界福音同盟(WEA)北米地区の理事ですが、20代から40代にかけて統一協会の外郭団体と関わりを持っていたことから、現在も統一協会に関わり、自らを「再臨主」としているという疑惑がライバル・メディアから出されました。しかし、韓国の福音的な60教団以上が加盟する韓国基督教総連合会(CCK)の異端対策委員会が調査したところ、張氏は「統一協会関連団体で働いていたことがあり、これを深く悔い改めて懺悔する旨記載した『悔い改めの自筆覚書』を提出し」、またさまざまな調査をした結果、同委員会は「張在亨が1997年以降統一協会と関係をもった形跡はない」との声明を発表し、この統一協会疑惑について「無嫌疑であり、問題は終結したことを公表した。正統派キリスト教徒の最大組織である世界福音同盟(WEA)は、同年、その加盟団体である日本福音同盟に対して、張在亨の疑惑は解消された旨を通知した」(2013年11月のCT名誉毀損裁判の判決文より)。


こうした疑惑は、ヨイド純福音教会のチョー・ヨンギ牧師にかけられたお金や女性に関わる虚偽の疑惑などと同様、保守派の大物牧師を攻撃するときのライバル・メディアが使う常套手段と言われています。韓国の教会事情のよく分からない日本人クリスチャンは、その真偽を確認するすべをあまり持たないため、一方的な情報に頼るしかないというのが実状です。また、日韓における統一協会の社会的な捉えられ方の違いもあって、日本のCTへの誤解をさらに複雑にしているようです。

本紙会長の峯野龍弘(ウェスレアン・ホーリネス教団淀橋教会主管牧師)は実際に韓国に行ってCCKの代表的な牧師たちにこの問題を確認し、張氏とも直接会って話をした上で、統一協会問題などについて日本では誤った報道がされていることを確信したのです。

このCT名誉毀損裁判は、ある人物が2006年頃からブログで、CTが「統一教会と関係のあるカルトで反社会的行為をする集団である」という書き込みを繰り返し行ったことで、CTの「社会的信用は著しく低下した。(CTは)キリスト教関連の情報提供を主要な業務としており、その主な情報受領者はキリスト教の関係者であるところ、キリスト教界において統一教会は異端であり、問題のある団体であるという共通認識があり、本件各表現によって、(CT)の社会的名誉が毀損されたことは明らかであり」、「本件各表現を本件ブログから削除することが必要である」と認め、その表現の一つ一つを検討した上で該当する文言の削除が命じられました。「被告が、原告会社(CT)と対立関係にあるCCKーJ側からの伝聞情報を鵜呑みにして書き込んだ、具体的裏付けのない信用性の低い表現である」といった言及も、判決文における「裁判所の判断」の中にあります。

もちろん、偏った情報が流布されるのは、韓国の複雑なキリスト教事情を把握しきれない日本のキリスト教界の限界だとは思います。しかし、その冤罪に苦しむ者にとっては日々、取材拒否や言われなき誹謗中傷を受けるという、人権侵害にさらされることになります。

長年、そうした非難の矢面に立ってきた初代社長のTさんは、2011年に現社長の矢田に経営をバトンタッチして、現在は本紙から離れて別の会社で働いています。峯野は自身の教会の最年少役員でもある社長の矢田を全面的にバックアップしながら、金銭的な流れをはじめ、キリスト教メディアとして健全な経営がされていることに、会長として責任を持って関わっています。

編集長である私、雜賀も、記事の取材、執筆、編集、掲載において、統一協会やカルト的な圧力を受けることなく、主にある平和と自由を持って記事を配信しています。CT疑惑を取材された方や教団の責任者の方にも、CTに関わるさまざまな方々にも話を聞き、こうして裁判記録なども読んだ上でこのことをお伝えします。

2017年4月14日金曜日

妄想が霧散しますように 4月12日の編集会議

このブログを始めようと思ったのは、
一種の編集後記のようなもので、
舞台裏が分かるページがほしかったからです。

「カルト疑惑」を持っている方と話すと、
クリスチャントゥデイは、
怪しげな国際組織からの命令のもと、
資金がジャブジャブ流れ込み、
マインドコントロールされている記者たちが
苛酷な労働環境の中で虚ろな目つきで働かされているような
妄想とも言えるイメージをだいたい抱かれているようです。

それなら、口で説明するより、
このような画像付きのブログで
見てもらうのがいちばん手っ取り早いでしょう。
みんな普通のクリスチャンです。
私が経験してきた現場の中では、
妄想とは逆にいちばん自由度は高く、
いちばん質素です。

今週は受難週で集会やイベントも多く、
非常に忙しい1週間でした。

クリスチャントゥデイでは毎朝、ミーティングをして
今週の何曜日にどれをヘッド記事にするか、
原稿の進捗状況や取材の予定などをシェアして
皆でその日やるべき仕事の優先順位を確認しています。
私が毎朝、ホワイトボードに書き出して
全体像を皆で把握できるようにしています。

ただ、事務所に毎日来ているのは
社長の矢田と編集長の私、編集補佐の内田、記者の坂本の4人だけです。
守田や中橋や池上など在宅の記者もいるので、
彼らとは毎日、電話で同じような確認作業をしています。

論説主幹の宮村と校閲の久田は週2回の出勤です。
そのため、全員が集まって話し合う時間を持っています。
それが毎月2回の編集会議です。

今週の水曜日に編集会議を持ちました。


写真左から守田、雜賀、矢田、宮村、久田、内田です。
この写真をスマホで撮っているのは記者の中橋。
今度は私がカメラ係になって中橋も写真の中に登場する予定です。
池上は欠席で、
坂本はこの時、安藤忠雄展の記者発表会
国立新美術館まで取材に行っていて留守です。

この日もそれぞれの取材スケジュールや企画、
このブログの始め方や、
共同通信社の『記者ハンドブック』に従った用字用語からの例外づくり、
記事の書き方の確認など、
いろいろ話し合われました。

2017年4月1日土曜日

信じて心燃やされる者に―編集長就任あいさつ 雜賀信行

私は日本同盟基督教団西大寺キリスト教会で洗礼を受け、25年前、いのちのことば社で文書伝道者としての歩みをスタートしました。以来、数百冊以上の本や雑誌の編集に携わり、多くのキリスト教出版社・書店・教会、執筆者の方々と共にこの働きを続けてこられました。皆さまともきっと何かを通して出会ってきたと思います。

2月からクリスチャントゥデイで働き始めて2カ月。「この働きが統一協会によるものではないか」というのは濡れ衣ではないかと考え、コミットしていく覚悟を決めました。キリストも「あの男は悪霊の頭ベルゼブルの力で悪霊を追い出している」(ルカ11:15)と言われ、戦時中もホーリネス弾圧に対する切り捨てやドイツ教会のユダヤ人差別など、同じようなことは繰り返されてきました。いじめもそうですが、無視や拒絶は、するのは簡単ですが、される側は深く傷つきます。それでもスタッフ一同、「ののしられてもののしり返さず、・・・正しくお裁きになる方にお任せになりました」(1ペトロ2:21、23)というキリスト教信仰に立って、日々、取材活動に励んでいます。

クリスチャントゥデイも始まってまだ歴史が浅いため、これまで諸教会と信頼関係をきちんと築けておらず、そのことも今日のような状況を招く一因だったと思います。ですから、信頼構築のためにも、ぜひ顔と顔とを合わせてお話しする機会を与えてください。私たちは、エマオ途上の弟子たちが心燃やされたような記事をこれからも配信し続けていきたいと思っています。

人を疑ってかかるのが今日的な風潮ですが、トマスのように「信じない者にならないで、信じる者になりなさい」(ヨハネ20:27)というイエス様の言葉を胸に、ネット時代の文書伝道の働きを皆さんと協力して進めるために、私は信じる側に立ちます。よろしくお願いします。

2017年4月1日
クリスチャントゥデイ編集長
雜賀信行

感謝、そしてこれから―論説主幹就任あいさつ 宮村武夫

2014年4月から、クリスチャントゥデイ編集長としての3年間の働きは、ひと言で言えば、まさに感謝です。

25年沖縄にいたので、クリスチャントゥデイと統一協会の関係を繰り返し主張する報道機関があるなど、私は何も知らなかったのです。ですから、クリスチャントゥデイに対する私の決断、実行をある方々が訝ったのもそれなりに理解できます。

しかし私自身は、2009年12月に脳梗塞を発症した前後から、インターネットを私なりに活用していたこともあって、クリスチャントゥデイの働きを実際に始めた直後から、エステル4章10節の「この時のため」が、強く心に迫り、自分が受けてきた教育と牧師・神学教師として経験してきた全てのことは、クリスチャントゥデイ編集長として働く「この時のため」とはっきり受け止めてきました。

苦悩と喜びが両立する3年間の歩みを、私なりに総括していくことは、単に私の個人的な必要ばかりでない。クリスチャントゥデイをめぐる、それぞれの対応をなさる方々にとっても、直接間接に関わる公同性のある事柄ではないかと理解しています。総括の方法として、以下の手掛かりや資料の活用を考えています。
  1. この3年、クリスチャントゥデイの編集会議で学んできた、聖書の学びの全体的再考。
  2. この3年、クリスチャントゥデイで私が書いてきた記事の総観と分類を中心に吟味。
何よりもうれしいのは、4月からの展開です。

この3年間、与えられた機会・役割の尊さを心から感謝し、共に働く「僕仲間」(黙示録22:9)との共労を深く喜んできました。

同時に、その恵みの機会に十分応答できない、欠如を実感してきました。

そうした私たちの実情からの求めに答えて、主は4月から、次期編集長として最善の方を備えてくださいました。編集者として実務の経験を積んできた50代、そうです、雜賀信行兄です。

私はと言えば、記者を中心とする編集部門とは別に、新たに論説委員を加え、論説部門の充実を目指したく願っています。今、さらに聖書の読みを深め、広めて、報道記事の根底となる言論の充実を担う人材が集結する体制を目指したいのです。編集部門と論説部門の美しい融合へ向けての一歩一歩です。

2017年4月1日
クリスチャントゥデイ論説主幹
宮村武夫