2017年11月20日月曜日

感謝できない時に感謝できること 中橋祐貴

主の御名を賛美いたします。

私は小学3年生の時に不登校になりました。優しいクラスメートが手紙をくれたり、自宅を訪問してくれたりしたおかげで、ある時から学校へ行けるようになりました。

その友達は、アメリカ人宣教師が開拓した近くの教会に通っていました。そのクリスマス礼拝に誘われて、兄弟でドキドキしながら行ったことを覚えています。すると、宣教師夫妻が満面の笑顔で私たちを迎えてくれたので、すぐに打ち解けることができました。

その友達が福音を伝えて、愛の心で接してくれたおかげで、今の私があります。こうして私は、そのまま教会につながり、小学校6年の時に弟と一緒に洗礼を受けました。教会に導かれて明るく変わっていく私を見て、両親も間もなく受洗しました。

私は、最愛の父を20歳の時に病気で亡くしました。熱心なクリスチャンだった父の姿を見て、多くを学びました。父は、「クリスチャンの特権は、感謝できない時に感謝できることだよ」と私に話してくれました。この言葉が強がりや自虐的な生き方に感じた時もありました。しかし、確かに私の38年間の人生は波乱万丈でいろいろなことがあり、常識的には決して感謝、ハッピーには思えません。しかし、私の周りには常に教会の牧師をはじめ、神の家族がいて、友人や助け手がいました。妻の存在も大きいです。こんなに弱くて小さな私ですが、ただただ神様の愛ゆえに生かされ、今があるのだなと感謝でいっぱいです。

私がよかったなと思うのは、クリスチャントゥデイの仕事の中で、たくさんの方にイエス様のすばらしさを伝えられることです。絶望の中にある方、悲しみに直面している方、逆に毎日が充実している方、どんな方であれ、神様の御言葉は必要です。伝え続けなければなりません。

荒んだ世の中となり、世界は争いが絶えず、1度たりとも戦争が起きなかった日はいまだかつて地球上でありません。私はクリスチャンとして隣人を愛するという聖句を覚えて、家庭から平和を作り上げていきたいと思います。

主イエス・キリストこそ私の主、私の神様です。

感謝しつつ。

見失った1匹を見つけ出すまで 矢田喬大

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私は1984年、三重県四日市に、3人きょうだいの末っ子として生まれました。実家は浄土真宗で、親類縁者にクリスチャンは1人もおらず、キリスト教とはまったく無縁の環境に育ちました。私自身も中学と高校の6年間、仏教系の学校で学びました。

その後、関東の大学に進学でき、あこがれの一人暮らしも始まりました。そこでクリスチャンの先輩と知り合い、先輩の通う長老系の教会に一緒に通うようになりました。ただ、神様に触れていただくまで、クリスチャンになることには強い抵抗感を持っていました。

大学3年生の夏休み、先輩の紹介で米国のクリスチャンホームにホームステイした時のことです。教会の祈りの集会に参加した時、数人のグループに分かれて祈る中で、私のために祈ってもらう時間がありました。私も一緒に目を閉じました。その時です。心の中にとても熱い何かが入ってきて、その瞬間に私の中で大きな変化が起こりました。

「あなたがたの中に、百匹の羊を持っている人がいて、その一匹を見失ったとすれば、九十九匹を野原に残して、見失った一匹を見つけ出すまで捜し回らないだろうか。そして、見つけたら、喜んでその羊を担いで、家に帰り、友達や近所の人々を呼び集めて、『見失った羊を見つけたので、一緒に喜んでください』と言うであろう」(ルカ15:4~6)

それまで何度も読んだことがある「見失った羊」のたとえが、この時、なぜか心に強く響いてきました。そして、羊飼いが99匹を見捨てても、必死になって捜すその1匹が自分なんだと気付きました。その瞬間、神様の深い愛が私の心の中になだれのように一気に入ってきたのです。

同時に、私が生まれてからずっと、このような深い愛が注がれ続けていたことも分かりました。それにもかかわらず、長い間ずっとこの神様の愛を無視し続けて生きてきたことを、本当に申し訳なく思う気持ちも湧き上がってきました。

「神様、本当にごめんなさい。こんなに神様が愛してくださっていたのに、今まで気付くことができませんでした。本当にごめんなさい」と涙で祈りました。これが私とイエス様との出会いの瞬間です。

それまでは、とりあえずいい大学に入り、いい職について、人生の後半は楽をしたいと思っていました。何よりお金があれば人生はすべてうまくいくと信じていました。でも、そのようなちっぽけな考えは、イエス様に出会って大きく変わりました。この若さを、まず神様のためにおささげしたい。この喜びを1人でも多くの人に伝えたいという思いが、心の底から湧き上がってきました。

こうして2005年の夏、私は信仰の決心に導かれ、現地の長老系の教会で洗礼を受けました。そして帰国後、ウェスレアン・ホーリネス教団淀橋教会に通うようになり、同じ年のクリスマス、転会をして、現在は最年少の役員として教会に仕えています。

また、帰国した直後から、このクリスチャントゥデイの働きに在学中から関わるようになりました。そして、2011年から初代の働きを引き継いで、社長を務めています。

また、2009年に結婚し、3人の子どもにも恵まれました。長女の安奈は6歳、次女の尚実は3歳、長男の聖文は1歳になります。

安奈は小耳病といって、右耳が未形成の状態で生まれました。どうにか耳が聞こえるようにと必死で祈りながら診察を受ける中で、どうやら聴力は正常だと分かり、神様に感謝しました。耳の手術は、体の成長が終わる中学生ごろを予定しています。女の子なので、耳の形を気にすることが多いと思いますが、日曜学校の先生や友達からたくさんの愛を受けて元気な子に育っています。

尚実は、出産前に肺に腫瘍(しゅよう)があることが分かりました。シーカム(CCAM、先天性嚢胞状腺腫様形成異常)という症状で、最悪の場合、出産時に腫瘍が膨張し、心臓や肺を圧迫して非常に危険な状態になるとのことでした。しかし、教会の多くの方が祈ってくださり、神様が完全に癒やしてくださったのです。MRIの結果、肺にまったく腫瘍が確認されず、きれいな状態でした。そうして、無事に出産することができました。

出産後、肺の一部に新たな腫瘍が確認され、昨年12月、肺の4分の1を摘出する大手術が行われましたが、神様の恵みによって大成功に終わりました。術後の経過も順調で、今も元気にすくすくと育っています。

神を信じる者に与えられる患難は、忍耐と練られた品性を生み出し、神の約束に確かな希望を見いだし、最後まで神に拠り頼む者とされるため、また、神からのより深い慰めを受けるためであることを教えられています。小さく取るに足りない土の器ではありますが、この文書伝道の働きを通して1人の魂が救いに導かれることをいつも祈りながら、主が見せてくださった同じ道を最後まで歩ませていただきたいと願っています。

「ごんぎつね」とキリスト 雜賀信行

幼い頃から切ない物語が好きだった。小学校低学年の時だったと思うが、雑誌に載っていた新美南吉の「ごんぎつね」に感激し、そのページだけ剥(は)がして綴(と)じ直し、学習発表会で朗読をした。しかし、ラストシーンでは感極まって読めない。そんな子どもだった。

今から35年前。17歳。高校3年生の春、友人に誘われて初めて教会に行った。岡山県南にある日本同盟基督教団(当時は単立)西大寺キリスト教会(赤江弘之牧師)だ。映画会と言われて、「十戒」でも観られるのかと期待して行ったら、「ムーディーの科学映画」でがっかりした。その帰り、友人から三浦綾子『塩狩峠』をプレゼントされたので、すぐに読み、感動はしたのだが、それだけだった。幼い頃と比べると、ずいぶんひねこびてしまった。

詳しい経緯は省略するが、その後、当時の仲間が次々に洗礼を受けていく中、僕も消極的ながら教会に通うようになった。高校卒業後、自宅浪人をしていたので、いわば人に会うためだ。礼拝以外にも、毎週、牧師から初歩教理を学んだ。「海外の作品の背景にあるキリスト教について学べればいいか」ぐらいの感じである。当時、文学や映画など、受験勉強では満たされない魂の渇きをいやすものを貪欲に求めていた。

それまでずっと優等生として過ごしてきた僕にとっての大きなつまずきは、失恋だった。その子のために一生懸命勉強をして、生徒会やさまざまな部活に励んでいた学校生活は、一気に生きる目的を失ったことでブラックアウトした。受験勉強をして大学に行く意欲はすっかり失せていた。

とはいえ、失恋した心の隙間に宗教が入り込むような人間でもなかった。僕は簡単に信じることができなかったのだ。礼拝の時、横を見ると、賛美歌を歌いながら涙を流している女性がいる。「このように素直に信じられたら楽だろうな」と冷ややかに見ているような人間なのだ。

高度経済成長期、共働きの両親のもと、何不自由なく「いい子」として育った僕に、「何としてでもいい大学、いい会社に入ろう」というハングリー精神もなく、人生の踊り場で立ち往生していた。確かにあのまま順調に進むと、傲慢で鼻持ちならない、人の痛みの分からない人間になっていただろう。それにしても、あれほど混乱していた時期はなかった。

心の隙間は、人でなければ埋められなかった。浪人生にあるまじきことに、遠距離恋愛をした。海外にホームステイした時、知り合った人と意気投合して、帰国後も文通をした。ところが、彼女からの返事もそのうち間遠になっていく。そりゃそうだ、あちらは大学生活で忙しい。しかし、こちらは自宅浪人。毎日、郵便配達のバイクの音が聞こえてくると、郵便受けを確認し、落胆することの繰り返し。

そのような日々を送っている時、ふと思ったのだ。これが僕が神様にしていることではないかと。神様は僕からの応答を待っておられるのに、僕の気持ちは神様のほうには向いていない。僕はそれまで全知全能の神の存在を思い描くことはあった。自分のことを何から何まで見ていると思い、怖かった。ただ、神は愛だと言われても、あまり実感はなかった。オールマイティーだから、オートマチックに愛が溢れ流れているようなイメージだったのだ。

しかし、愛はそういうものなんかじゃない。手紙を時間をかけて書くのだって、非常に心を遣う。だからこそ、返事が待ち遠しいのだ。両親の愛だってそうだろう。僕をここまで育てるためには、毎日毎日、食事を作り、小さい時は何から何まで世話を焼いて、その労苦の積み重ねが愛なのだ。だからこそ、子どもが向けてくれる喜ぶ顔が親にはうれしいのではないか。愛とは人格であり、応答だ。その最も基本的な真実にその時やっと思い至ったのである。

さらに、その時ふっと「ごんぎつね」の話も心に浮かんだ。小ぎつねのごんがお詫びのために毎日、栗や松たけを届けていた。その心は相手の兵十にはまったく伝わることがなく、最後には兵十は自分の誤解に従ってごんを撃ち殺してしまう。ああ、これがキリストを十字架に付けたことなんだと了解した。神様はどんなに愛を注いでくださったのか分からないのに、僕はそれを理解せず、むしろ神を誤解し、拒み、自分勝手な理解の中で神に応答しようともせず、キリストに銃口を向けていた。いや、「青いけむりが、まだつつ口から細く出ていました」。

「ごん、お前だったのか。いつもくりをくれたのは」
ごんは、ぐったりと目をつぶったまま、うなづきました。

2017年9月12日火曜日

取材拒否と善いサマリア人

「クリスチャン新聞創刊50周年記念シンポジウム」が11日、お茶の水クリスチャン・センター(東京・千代田区)で開かれ、編集長の雜賀が聞きに行きました。いのちのことば社主催の集会はクリスチャントゥデイ(CT)は「取材拒否」されているのですが、事前の参加申し込みで、「クリスチャン新聞」編集長の髙橋昌彦さんに「取材はしないので、参加してもいいですか」と電話連絡すると、それならかまわないと了承を得ました。雜賀がいのちのことば社の出版部や雑誌部で編集者として働いていた頃から、新聞の広告営業をしていた髙橋さんとは懇意にしています。というわけで、記事にはできないので、ブログで裏話的に「取材拒否」について書くことにしました。

「クリスチャンメディアに今求められるもの」というテーマで、高橋さんが司会を務め、朝岡勝先生(日本同盟基督教団徳丸町キリスト教会牧師、同教団副理事長)、大嶋重徳先生(キリスト者学生会総主事、鳩ケ谷福音自由教会協力伝道師)、郡山千里さん(世界キリスト教情報[CJC]主宰、元日本経済新聞記者、日本基督教団富士見町教会長老)、松谷信司さん(「キリスト新聞」編集長、日本キリスト教会浦和教会長老)がそれぞれ語られました。

記事だとその内容を伝えられるのですが、残念ながら、伝える材料があるのに、「取材拒否」ゆえに伝えられません。こういうことを読まれて、どうお感じになりますか。

ともかく、集会に臨むにあたっての基本的な情報から。

「クリスチャン新聞」(いのちのことば社、クリ新)は1967年に創刊されました。初代編集長が関栄二さん、2代目が守部喜雅さん、3代目が根田祥一さん、4代目が中野晶正さん、そして現在の髙橋さんが5代目です。主に福音派内超教派がメインフィールドです。週刊のタブロイド判8ページ、1部231円(税込)。

一方、「キリスト新聞」(キリスト新聞社、キリ新)は1946年の創刊。「カトリックから無教会まで」という超教派(エキュメニズム)をうたい、メインは日本基督教団など主流派ですが、松谷編集長は一般の若い人が読みやすい紙面を目指しています。この7月からブランケット判から「クリ新」と同じタブロイド判(8ページ)にし、紙面も写真やイラストを大きくあしらい、文字を少なくして横組みへと大きく様変わりしました。月3回発行で、1部432円(税込)。

「キリスト教メディア」の中で紙媒体の新聞では他に「カトリック新聞」があります。以前はペンテコステ派に「リバイバル新聞」(1996~2008年)、聖公会には「聖公会新聞」(1948~2015年)がありましたが、現在はありません。

一般紙に目を転じると、この1年で発行総部数が100万部近く減少しており(2016年10月現在、日本新聞協会)、毎年、約100万部ずつの減少が続いています。ピーク時である1997年の5376万部から2016年の4327万部へ、この20年間で1千万部も部数が落ちているのです。地方紙や業界紙の廃刊も相次いでいます。「クリスチャン新聞」「キリスト新聞」も実売部数は公表していませんが、実状が厳しいことは確かです。クリスチャンが日本人口の1パーセントとして単純計算すると、10万部減少していることになりますが、そもそも実売数が10万部以上もありません。さらにその数パーセントではないでしょうか。

そのような中で私たちCTは、多くの方に読まれるキリスト教オンラインメディアとして成長することができました。これは苦しい試みの中にあっても支え導いてくださった神様の恵みであると感謝しています。

しかし困ったことに、この集会のように「取材拒否」をされると、記事として掲載できなくなります。本来、報道機関が事実や情報を伝えること(報道の自由)は、国民の知る権利に奉仕するものとして、「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」という日本国憲法第21条に基づき、保障されています。それにもかかわらず、「取材拒否」をされた時には、「このシンポジウムのことが知りたい」「CTではどんな記事として書かれているだろう」という読者の期待に応えることができなくなるわけです。

もちろん、アポなし取材などは、取材相手の迷惑を顧みない失礼で社会性のない行為なので、私たちは必ず取材先に前もって取材依頼をします。ところが、この集会だけではなく、「あんなに注目されている集会なのに、なぜCTにはその記事が載らないのだろう」という場合、取材先から「取材拒否」をされている場合が多いのです。

メディアに紹介されると一時的にお客さんが殺到して対応しきれないので「取材拒否」をするという飲食店はあります。あるいは、やましいことを暴かれたくないと「取材拒否」をされることもあります。都合の悪いことを書くメディアを記者会見から閉め出す「取材拒否」などです。しかし、私たちCTが受けている「取材拒否」は、「あいつは不浄(異端)だから付き合うな」というものです。

それはある教職者のブログから始まりました。それに信用があるキリスト教メディアが乗りました。それを信用した影響力のあるキリスト教組織が「取材拒否」声明を出しました。

あまりにも名誉毀損の激しいその教職者を訴え、2013年、裁判でそのブログの文言の削除が命じられました。最終的にその教職者は、警察に事情聴取を受け、事の重大さに直面して、今後同じことを繰り返さないと応じてくれました。

同様の報道をしたキリスト教メディアはそれ以来、私たちを誹謗中傷する記事を掲載しなくなりました。しかし、相変わらず一部で「取材拒否」が続いています。それは上記のような問題があるのですが、キリスト者にとってはなおさら「愛」が問われることではないでしょうか。

「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない」(ヨハネ15:13)とイエス様は言われました。しかし、「ある祭司がたまたまその道を下って来たが、(半殺しにあった)その人を見ると、道の向こう側を通って行った。同じように、レビ人もその場所にやって来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った」(ルカ10:31~32)という「善いサマリア人」のたとえのようなことが多いのが現実です。「さて、あなたはこの三人の中で、だれが追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか」というイエス様の言葉に応える者でありたいと私は思っています。  (文責:雜賀信行)

2017年9月1日金曜日

クリスチャントゥデイ(CT)は統一協会か問題Q&A

Q クリスチャントゥデイ(以下、日本のクリスチャントゥデイは「CT」)は統一協会と関係があるのですか。

関係ありません。会社役員も記者や編集者もすべて正統なキリスト教信仰に立つ教会に所属している信徒や牧師ばかりです。CTでは、統一協会をはじめキリスト教の異端、カルトに対して警鐘を鳴らす記事を随時掲載し、イエスこそ唯一の救い主(キリスト)であることを伝える記事を毎日配信しています。

Q なぜ統一協会と関係があると疑われるようになったのですか。

十数年前、あるキリスト教教職者の方がブログで、CTが統一協会と関係があると発信し続けたことが1つのきっかけです。これに関しては、すでに2013年に裁判で事実確認がされ、CTを誹謗中傷する文言を削除するよう、裁判所から命じられ、現在、そのブログは存在しません。

Q CTが統一協会と関係があるという主張は、具体的にはどういうものですか。

韓国のキリスト教ニュースサイト「クリスチャントゥデイ」を創設した張在亨(ジャン・ジェヒョン)牧師は元統一協会幹部で、自らを「再臨のキリスト」と称して信徒を洗脳しているという疑惑が、ある敵対的な韓国の教職者から出されました。韓国では、有名な牧師がそのように攻撃されることがよくあります。そのような不確かな情報が日本で流され、その「日本版」(実際には別組織)であるCTも、異端であることを隠しキリスト教を名乗ってニュースサイトを運営していると、その教職者はブログを通して警鐘を鳴らそうとされたのです。

しかし、誤解されている私たちCTにとっては、そのために取材拒否を受けたり、異端呼ばわりされたりして、キリスト教メディアとしての働きを困難な中で進めなければならなくなりました。そこで裁判によって事実関係を明らかにした結果、私たちの主張が認められて、統一協会としたブログの文言の削除が命じられました。

Q 張在亨氏は異端の教祖なのですか。

韓国のキリスト教界で、そういう疑惑が事実なのかどうか徹底的な調査が行われましたが、異端ではないとすでに判断されています。当紙会長の峯野も、韓国の主導的な立場の牧師たちや張氏自身に直接会って確認しましたが、問題はないとの確証を得ています。張氏は現在、米国に拠点を置き、世界福音同盟(WEA)の北米地区理事を務めています

Q 韓国の「クリスチャントゥデイ」は異端のサイトだと韓国では考えられているのですか。

韓国のキリスト教界で高く評価され、よく読まれているキリスト教ニュースサイトです。韓国の代表的なオンヌリ教会やヨイド教会などとも良い関係を持っています。韓国の事情に詳しい方はそのことをよくご存じですが、そうでない方はしばしば誤った情報を鵜呑みにしがちです。例えば、「福音派は好戦的で非知性的」「リベラルは信仰的ではない」という一方的で主観的な考えを、キリスト教事情に暗い一般の人が信じるのと同じかもしれません。

Q 日本のCTは韓国の「クリスチャントゥデイ」と関係があるのですか。

日本のCTは、韓国の「クリスチャントゥデイ」の日本支部ではありません。その日本支部は、日本のCTとは組織も事務所も全く別で、1人の韓国人の方が日本に駐在しておられます。「クリスチャントゥデイ」と名前が同じなので混同されがちですが、私たちは日本独自のキリスト教ニュースサイトです。

日本のCTは、日本人の青年Tさん(現在は退社して別の仕事をしているので匿名にします)によって2002年に起業されました。いわばベンチャーです。11年にはウェスレアン・ホーリネス教団淀橋教会の峯野龍弘主管牧師を会長として組織を整えました。今では月間40万ページビュー(閲覧数)もある、日本で最も多くの人に読まれるキリスト教オンラインメディアに成長しています。

名前が同じなのは、米国留学中だったTさんが米国のキリスト教ニュースサイト「クリスチャントゥデイ」(現在は「クリスチャンポスト」)の働きに触れ、そのビジョンに共鳴したことによります。信用ある名前を付けて同じようになりたいと考えたのですが、同じ名前であることにより、現在はかえって日本で同一の異端組織であるかのように捉えられることになったのは残念なことです。

Q 韓国の「クリスチャントゥデイ」から資金の流れがあるのですか。

日本のCTの立ち上げ当初は、韓国の「クリスチャントゥデイ」からスタッフや資金の援助を受けました。それは、Tさんが米国留学中、韓国「クリスチャントゥデイ」の編集長(張氏ではない)に会って援助をお願いしたことによります。しかし、その後、資金提供を受けているわけではありません。

資金の流れについては、会長である峯野をはじめ役員がきちんと把握しています。皆、キリスト教界で信用を置かれている教職者や経営者ばかりです(http://www.christiantoday.co.jp/about/officers.htm)。

実際に事務所に来ていただければ、日本人スタッフ数人が一生懸命、経費を節約し、広告費や献金などによって経済的に支えられながらこの働きを進めていることが分かります。

Q 裁判で事実関係が明らかにされたのに、なぜまだ一部のキリスト教会では「CTは統一協会と関係がある」と言われているのですか。

キリスト教界で大きな影響力を持つ組織が十数年前、そのような見解を出し、裁判の判決が出た後も、昔の判断をそのままにしているのが現状です。事実確認ができない多くの教会では、上の判断がどうなるか、慎重に様子をうかがっているのではないでしょうか。

それらの組織の代表的な方々とは現在、直接会ってお話しをうかがっています。例えば、編集長の雜賀もいのちのことば社の編集者として働き、独立後は主だったキリスト教出版社の編集に携わってきました。両方の立場を熟知しているので、裁判などで明らかになった正確な情報を基に、キリスト教メディア同士が理解し合えるよう、具体的に話を進めています。

何より、私たちの信仰告白でもある記事をよく読んでくださっている方々は、私たちCTが正体を隠してやっているまやかしものか、本物のキリスト教ニュースサイトであるかを見極めておられるのではないでしょうか。